「スタッフ用に支給されていたバックパックがあったので、急遽それを分解し改造して、両手がなくてもバランスよく旗を持てるものを即興で作りました。ただ急ごしらえだったので2つ作ることができず、1つの国が入場したらそれを回収してきて、次の方につけるということをしました」(中島さん)
この他にも、エアライフルを固定するための台を来日するまでに紛失してしまったので、新しく作ってほしいといったリクエストなど、修理やメンテナンスという域を超えた難題にもオットーボックのスタッフは対応した。その数は細かい修理も含めると大会期間中に2083件。しかも今回はコロナ禍であったために少ない方だったというから驚きだ。
最悪の場合は棄権? 競技結果を左右する重大な決断

無理難題とも思える依頼がひっきりなしに持ち込まれるパラリンピックのリペアセンターだが、参加を希望するスタッフは沢山いるそうだ。
「技術者は職人としてのプライドを持っています。プライドがあるのは、それだけの技術を持っているということですから、それを発揮できる場を与えられるのは名誉なことでもあるんだと思います」(佐竹さん)
中島さんは東京2020大会を含め、過去5回のパラリンピックに技術スタッフとして参加しているが、毎回楽しいと言う。
広告の後にも続きます
「大変なこともたくさんあるんですが、自分たちのやっていることに意味があると思っていますし、それが結果としてすぐに返ってくるのでモチベーションがあがります。そのモチベーションは普段の仕事にもいい影響を与えてくれるんです」(中島さん)
たとえば、東京2020大会でもそのようなシーンがあったそうだ。それは車いすテニス・ダブルスの試合当日のこと。日本人選手の車いすのフレームが割れてしまった。ところが試合会場のリペアブースには溶接機がなかった。修理できなければ壊れたまま試合に挑むか、最悪の場合試合を棄権するしかない。そこでオットーボックのスタッフは、有明のテニス会場から溶接機のある選手村のリペアセンターへ車いすを運びこむことを提案。連絡を受けたセンターは準備を整え、最優先で修理を受け入れた。その結果、修理は間に合い選手は無事に試合に挑むことができ、結果は見事銅メダル獲得となった。

「一度でもゲームに直結するような修理をしたスタッフは相当な達成感を得ると思います。もし修理ができなければ、4年間の選手の努力が無駄になってしまうわけですし、なんとかしてあげたいと思いますよね」(佐竹さん)
このような責任の重い、緊張感あふれる修理のほか、時には眼鏡やキャリーケースのキャスターの修理といった専門外のものの修理も持ち込まれるという。
「専門外ではありますが、我々は物を作ったり、直したりという技術を持っていますし、そのためのあらゆる道具も持っています。その上で、選手の皆さんにできるだけベストな状態で競技に挑んで欲しいという気持ちがあるから、専門外でもなんとかしようと思うんじゃないでしょうか」(中島さん)
アスリートたちが選手村の中で快適に生活すること、それも競技の結果に結びつく大切なことだ。だからこそ、オットーボックのスタッフはたとえ専門外でも、どんな修理依頼でも対応する。それが技術者としての誇りでもあるのだろう。
東京2020パラリンピックでもたらされた共生社会の種

さまざまな国のパラリンピックに派遣されて中島さんが気づいたのは日本はまだまだ、障がいのある人たちの捉え方が遅れているということだそうだ。
「日本では障がいのある方を『直視しては失礼』という感覚があるじゃないですか。でもパラスポーツは自分を見て、と選手がアピールしますよね。ですから、東京2020パラリンピックは見る側にとっても、見られる側にとってもいい機会だと思ったんです。パラスポーツは今まで見たこともない競技がたくさんあるし、新しくて、面白いことをやっている。普通に楽しめることがたくさんあります。それにロンドンパラリンピックの時にメディアが『スーパーヒューマン』という言葉を使って、パラアスリートを紹介したように、彼らの持っている身体能力は他の人たちとは違う次元の素晴らしいものです。パラリンピックの自国開催は、そういったことを知るいい機会になってくれると期待していました」(中島さん)
残念ながらコロナ禍の影響で無観客開催となったが、それでも多くのメディアが取り上げたことで、十分に盛り上がったのではないかと中島さんは言う。あとは、この熱が冷めないうちに「東京2020大会から1年!」などと、カウントダウンならぬカウントアップイベントなど、開催後の検証を楽しくやっていくイベントが行われ、この機運が続いてほしいとも語ってくれた。
東京2020大会のために24カ国から集まったオットーボックのスタッフ。言語も文化も異なる人々がチームとなって働くのは大変ではないかと聞いたところ、中島さんは「むしろ、だからこそ上手くいったのではないか」と答えてくれた。「これがもし、2、3カ国からしか参加していなかったら場合によってはうまく行かなかったかもしれません。いろんな人がいるからこそ『違う』ということを受け入れ、その個性が活かされる、まさに共生社会の縮図のような場所だったんです」と。違いは個性である。そう考えれば、それぞれがその個性や得意分野を活かして難しい課題を乗り切るというオットーボックの精神にこそ、共生社会実現のヒントがあるのかもしれない。
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Kazuhisa Yoshinaga、オットーボック、Getty Images Sports