
人間って面倒臭い。
そんな風に思い始めたのは、小学生の頃だった。学年が上がるにつれて、クラスメイトの悪口を言う子どもが増えてきたのが原因だ。ホンシェルジュの最初の記事でも書いているが、早生まれの一人っ子としてのんびりと育っていた私は、唐突に誰かの悪口を聞かされて、ただ「何でそんな事を言うんだろう?」と思った。自分の事ではないけれど、「人ってそんな風に他人のことを見ているんだ…。」という視点を初めて突きつけられて、眉間のあたりをガーンと思い切りぶつけたかのように面食らった。
きっとそこで求められていたのは、知りもしない悪口に乗っかったり、面白く茶化したり煽ったりする、派手なリアクションだったのだろう。だからそういう子たちにとって私は、 “ 反応が悪いつまらない子 ” だったはずだ。実際その時、ファーストリアクションでしくじった私に会話が振られることは少なかったし、悪口を言い始めた子が積極的に話を振っていたのは、所謂 “ 良いリアクションで面白おかしく乗れる子 ” だった。
面白さがわからないから、何となく苦笑いをしているのだけど、いくら子どもとはいえ流石に愛想笑いには気付くわけで、そうするうちに、このつまらない子(=私)も悪口を言われたりした。クラスの中でみんなが順番に何かしらの陰口を言われる時期だったから、仲の良い友だちは他にいるし、別にどうでも良いかなと思って、具体的にどんな事を言われているのか追求もしなかった。
もちろん嫌な気持ちになって、学校に行くのがちょっと憂鬱だなと思う日もあったのだけれど、我関せずという態度が功を奏したのか、私の悪口ターンはそれほど長くなかった印象だ。その後、悪口グループともある程度仲良く過ごすのだが、愛想笑いをしてまで付き合うほど重要ではないと思っていたから、自分なりに無難な、一定の距離は取り続けた。
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自分が良いと思わないものに迎合するのが苦手なのは、すでにこの頃から持っていた私の性格のようだ。びっくりすることに、こういう事は大人になっても繰り返しやってくる。あぁ人間ってなんて面倒なんだ、そういうところが嫌いだ。心のどこかで、そう思っていたのだった。
最適解
『気まずい愛想笑いは、もうしたく無い!』
中学生時代、そう思って行き着いたのが「気付かない人になる」ことだった。陰口を人生の楽しみにしているような人は、どんなコミュニティにも一定数存在するのだと、この頃になると察し始めた。中学生の女子ならば、なおさら。しかも大体そういうタイプの人間は、周囲を巻き込んでいくのだ。これは適当に相槌を打つのも危険だと思って、色々と試すうちに、自分なりの最適解を導き出すことができた。
【悪口・陰口の話題をやり過ごす方法】
①とにかく、同意しない。
②「そうなの〜?そんな風には見えないけどな〜?全然気付かなかったよ〜?(興味薄)」
③「ふーん、そうなんだー。(興味薄)」
2021年11月30日