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5分でわかる永仁の徳政令!背景、内容、効果などをわかりやすく解説!

ホンシェルジュ

主人が従者の仕事に対して土地で給与を払ったり、所領を保証したりする「御恩と奉公」によって成り立っていた鎌倉幕府からすると、御家人が土地を失うことは幕府そのものの土台を揺るがしかねない事態です。

そんななか、1293年には「鎌倉大地震」が発生。これはマグニチュード7以上あったと想定されるもので、震源は幕府の本拠地である鎌倉です。多くの神社仏閣が倒壊し、2万3000人以上の死者が出ました。

「天人相関説」にもとづけば、鎌倉での大きな災害は、この地を根拠とする幕府の失政が原因とみなされます。北条貞時は大地震の騒ぎに乗じて、幕府内で権力を握っていた内管領の平頼綱ら93人を討伐。そして鎌倉大地震からの復興を滞りなく進め、幕府の権威を回復し、支配体制を正当化するために、御家人の困窮を救う必要に迫られました。

こうして1297年に永仁の徳政令が発令されたのです。

 

永仁の徳政令の内容は?3ヶ条を解説

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永仁の徳政令の条文は現存しておらず、その詳細な内容は不明です。ただ「世界記憶遺産」にも登録されている、東寺に伝わる「東寺百合文書」に、3ヶ条が記録されていました。

1:越訴(おっそ)の停止

越訴とは、裁判で敗訴した者が再審請求すること。これを停止したことで、裁判は原則として一審制になりました。越訴の頻発による裁判の長期化を防ぐという狙いがあります。

2-1:御家人所領の売買および質入れの禁止

新たに土地を手放し、困窮する御家人が現れることを防ぐための条項です。

2-2:すでに売却・質流れした所領の返還

売買が御家人同士でされていた場合、売買が成立してから20年未満の土地は、原則として元の領主に無償で返却されることが決められました。徳政令の「借金帳消し」というイメージの原型になった条項です。

2-3:非御家人・凡下が購入した土地は元の領主に返還
 

2-2の条項が御家人同士の売買に関するものでしたが、こちらは御家人ではない武士や、高利貸などの金融業者を対象としたもの。売買が成立してから20年以上経過していたとしても、無償で元の領主に返却することが定められました。

3:債権・債務の争いに関する訴訟の不受理

徳政令が出されれば、借り手である御家人の困窮は救われますが、その一方で貸し手である金融業者の不満は募ります。そこで幕府は先んじて、金融業者からの訴訟は受け付けないと定めました。

永仁の徳政令の内容は上記3ヶ条しか伝わっていません。これらを見る限り、御家人の困窮を救うためとはいえかなり強引な政策だったという印象を受けるでしょう。

強引でもやらざるを得ないほど、鎌倉幕府と、執権である北条泰時は深刻な危機感を抱いていたと推測できます。

 

永仁の徳政令はなぜ失敗した?その効果や影響を解説

 

結果的に永仁の徳政令は、失敗に終わってしまいました。

永仁の徳政令が出されたことで、金融業者による「貸し渋り」が起こってしまったのです。お金を貸したとしても、いつか帳消しにされる可能性があると考えたら、当然の反応といわざるをえません。

すると困るのは御家人たちです。彼らは「徳政文言」を入れた契約を結ぶようになりました。「徳政文言」とは、「徳政令の適用外とする」という趣旨のものです。結果として永仁の徳政令は、発令翌年には土地を無償で取り戻せるという一部の条項を残して廃止されてしまいました。

永仁の徳政令が失敗に終わった根本的な原因は、御家人が困窮している理由を見誤っていたことにあるでしょう。

北条泰時は、「元寇」や異国からの襲来に備える軍役などによって「一時的に」支出が増大したため、膨らんだ借金を帳消しにすれば状況は好転すると考えていました。

もちろん上記も事実ではあるのですが、御家人が困窮していた理由はそれだけではなく、鎌倉時代の相続制度が「分割相続制度」だったことが大きく関わっていました。

「分割相続制度」は、当主が死亡した際にその土地を、跡継ぎの子どもが2、本妻ではない女性から生まれた子どもが1、女の子どもが0.5という割合で分割して相続するというもので、代を重ねるごとに御家人の所領は細分化されていく仕組みです。これはつまり、恒常的に収入が減っていくことになります。

鎌倉幕府が創設されたのは、1185年。およそ100年が経過していて、少なくとも3~4回は世代交代を重ね、かつての有力御家人ですら細分化が進んでいました。ただでさえ収入が減少し家計が苦しいところに、「元寇」などが重なったのです。

永仁の徳政令によって借金が帳消しになったとしても、収入が増えるわけではありません。かえってお金を借りることが難しくなってしまい、御家人はさらに困窮していったのです。

その結果、土地を手放す者が続出し、その時点で土地を介した幕府との「御恩と奉公」の関係も途切れてしまいました。

彼らは、幕府や荘園領主に反抗する土地をもたない武士「悪党」と手を組むようになります。自ら悪党になる御家人も現れ、彼らは鎌倉幕府の統制下を離れて、やがては幕府を倒す原動力となっていくのです。

 

徳政令から、中世の人々の感覚を探る一冊

徳政令――中世の法と慣習 (岩波新書)
著者笠松 宏至 出版日1983-01-20

 

現代には、「借りたお金は返す」という倫理観が根付いています。しかし永仁の徳政令からもわかるとおり、中世の人々にとっては「借金は場合によっては返さなくてもいいもの」でした。

本書では、現代からすると不可解にも見える徳政令を中心に、当時の人々の慣習や思想を解説していきます。

丹念な史料の分析とわかりやすい文章で、論理的に当時の人々の感覚を理解することができるでしょう。読み進めていけば、北条貞時が永仁の徳政令を出した理由もわかるはずです。

 

永仁の徳政令をはじめ、借金にまつわる歴史を解説した一冊

徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか (講談社現代新書)
著者早島 大祐 出版日2018-08-22

 

本書は、日本中世史が専門の歴史学者が、永仁の徳政令をはじめ、徳政令自体の歴史を解説している作品です。

ひと口に徳政令といっても、その対象や発令者は時に幕府であったり、有力寺社であったりとさまざま。もともと君主がおこなうものだった「徳政」が、単なる借金の棒引きへと変容していく過程がわかります。

特に、永仁の徳政令の根底にあった「借金は場合によっては返さなくてもいい」という倫理観が、時代を経てどのような変遷をたどり、「借りたお金は返すもの」という考えになったのかがわかりやすく記されているのでおすすめです。

 

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2021年11月23日

提供元:ホンシェルジュ

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