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5分でわかる永仁の徳政令!背景、内容、効果などをわかりやすく解説!

ホンシェルジュ

中世日本でくり返し出された徳政令。最初に出されたのが、鎌倉時代の「永仁の徳政令」でした。この記事では、発令の背景、内容、失敗に終わった理由、その後の影響などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。

永仁の徳政令とは。いつ誰が出したのか、概要を簡単に解説

 

「永仁の徳政令」は、鎌倉時代の1297年に、鎌倉幕府の執権・北条貞時が出した法令です。

徳政令とは、債権者に対して債権を放棄することを命じる法令のこと。いわゆる「借金帳消し」とイメージするとよいでしょう。

そもそも「徳政」には、儒教の教義のひとつである「天人相関説」にもとづき、天皇の代替わりや改元、あるいは大きな災害が起こった時などに、天皇が貧民救済政策や神事の興行をするという意味があります。天と人との間には密接な関係があり、相互に影響をしているとし、君主のおこないが良ければ吉兆が現れ、悪政をすれば天変地異に襲われると考えられていました。

このように本来は君主がおこなう徳政ですが、永仁の徳政令は鎌倉幕府の執権によって出されています。「武士の世」、ひいては「執権・北条氏の世」であることを人々に強く意識させる出来事だったといえるでしょう。

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永仁の徳政令が出された背景と理由。幕府の思惑とは

 

永仁の徳政令が出された背景には、幕府の基盤となる御家人たちの困窮と、大地震による鎌倉幕府の権威失墜がありました。

1274年と1281年の2度にわたって「元寇」が発生。御家人たちの奮闘と強風によって日本の勝利に終わりましたが、侵略に対する防衛戦だったので、新たな領地を得ることはできません。そのため、幕府は御家人たちの戦費負担に見合うだけの褒美を与えることができなかったのです。

また元寇後も異国船の来航が後を絶たなかったことから、さらなる襲撃への備えを怠ることはできず、御家人たちはますます貧しくなっていきます。

当時は西日本を中心に貨幣経済が浸透しつつあり、御家人たちは戦費を調達するために土地を売却したり、質に入れたりしてお金を得ます。しかし返済することができずに土地を失う御家人が現れました。

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