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水泳の一ノ瀬メイが引退。「水泳が人生じゃなくて、人生の中に水泳がある」

パラサポWEB

9歳のとき、周りに「パラリンピックに出るのが夢」、「パラリンピックに出たい」と言っても、パラリンピックについて誰も知らなかった。だからこそ、自分が水泳で結果を残して、競技者として高いレベルに到達することで「パラリンピックの知名度を上げたい」、「ムーブメントに貢献したい」という思いがすごく強くあった。

今では、東京パラリンピックの報道のされ方、盛り上がり方を見てもわかるように、パラリンピックはみんなの知っているものになった。では、次のステップは何だろうと考えたとき、「メディアで『障がい者』と呼ばれる人たちを見る機会というのはパラリンピックに限られているので、スポーツではない他の世界で、そういう人たち(障がい者)が活躍していくことなのではないかな」と思った。具体的に何をしていくかはこれから考えたいが、そういう人たちの場を作れるようになりたい。

社会がマジョリティのためにつくられているなら、マイノリティが生きづらさを感じる社会は変えられる。「障がいを社会からなくしたい」発信は続けていく――東京パラリンピックをどう見たか?

最初は、自分が出たかった大会なので悔しさもあったが、テレビを見ていくにつれ「アスリートってかっこいいな!」と心から思った。言葉では伝えられなくても、競技を通じて心に直接届くものがあり、パラリンピックにしかない力が絶対にある、と感じた。この世界に自分がいられたことが本当に幸せだと改めて感謝の気持ちも湧いた。パラリンピックの盛り上がりは、自分のこれからを考える上ですごく大きかった。

――オーストラリアで生活した経験がもたらした影響は?

オーストラリアに行くまでは、アスリートだから結果がすべてだと思っていて、水泳を手放したら自分には何も残らないと本気で思っていた。現地でオーストラリア代表選手と話すなどの経験によって、「水泳が人生じゃなくて、人生の中に水泳があるんだ」と学ばせてもらった。今では、水泳を手放しても、他に自分にできることがたくさんあると思えるようになった。

――東京2020大会延期決定後、どんな気持ちで東京パラリンピック出場を目指したか?

正直なところ、モチベーションを保つのがすごく難しかった。(コロナ禍では)一度、帰国すると練習拠点に戻れないという理由から日本に帰れず、友達や家族にも会えなかった。ホームシックになったりした。

そして延期をきっかけに、いろんな勉強をし、今までは水泳だけを見ていたが、他のことに目を向けたことで視野を広げることができた。もっとプールの外でできることがあるんじゃないかと考えるようになった。昨年、ヴィーガン(菜食主義者)になったが、同じヴィーガンのアスリートたちと出会って、私ももうちょっと頑張ろうと思った。最後の1年は、そのアスリートたちにインスパイアされながら、「自分も東京までやり切ろう」と思えたのは大きかった。

リオパラリンピック代表選考戦に駆け付けた水上競技部の応援団――競技生活で印象に残っている出来事は?

2つあります。ひとつ目は中2のとき、日本代表で出場したアジアパラ競技大会。それまでは日本で3番だったけれど、自己ベストを大幅に更新して日本記録で銀メダルを獲った。そこが水泳人生のスタートだったなと思っている。

もうひとつは2016年のリオパラリンピックの選考戦。近畿大学に入ってちょうど1年経った時期に行われた大会で、水上競技部のみんながサプライズできてくれて、レース前なのに泣いてしまうほどうれしかった。
私は近大水上競技部初のパラスイマーとして入部して、最初の1年はみんなもパラリンピックについて知らないし、パラスイマーと関わったことのない中で、みんなはインカレを目指して、私はパラリンピックを目指していた。最初は上手くいかないこともあり、メンタル的に難しいこともあった。近大は強豪なので、練習量も今までと比べ物にならないくらい増えて、心身ともにきつい一年だった。
そんな中で迎えた選考戦は、代表入りのために自己ベストを大幅に更新しないと入れないという状況でしたが、200m個人メドレーで自己ベストを4秒以上更新し、その後リオ代表にも選ばれた。本当に、人生で一番いい日だなって思った。

――パラリンピックを目指す後輩へのメッセージを。

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一緒に頑張ろうね、と伝えたい。

これまで、練習拠点を探すことに苦労してきた。9歳のときに(障がい者という理由で)スイミングに入れないという経験もし、リオパラリンピックなど大きな節目を迎えるたびに「あのときスイミングに入れていたら今頃、どんな選手になれていたんだろう」と考えることが多かった。

自分が戦っている海外のライバルたちの中には、小さいときからオリンピックを目指している選手や両手両腕がある選手と変わらない環境で泳いでいる選手もいる。

これからの選手が、私のような思いをしなくて済む、社会づくりと練習環境の整備に貢献したい。

アテネオリンピック銀メダリストの山本貴司監督(右)に「7年間、お疲れ様」と声をかけられると涙がにじんだ――クラス分けについて考えていることは?編集注:パラスポーツ特有のクラス分け制度は、元来障がいレベルによる不平等をなくすために設けられているが、その見直しなどによって、クラスが変更になる選手がいてメダル争いの勢力図が激変することがある。

例えば水泳は肢体障がいクラスを10個に分けていて、その中で(障がいの種類や程度に)幅が出てくるため、すべてがフェアになることは難しい。

そんな中、自分の経験から言えることは、スポーツの垣根を越えて、自分に合っているクラス分けを知った上でプラットフォームを選べるといいかもしれないということ。
たとえば、私の場合は右前腕欠損なので、この体と身体能力で一番パラのメダルが届きそうなスポーツって何なんだろう、というのを小さいときから知っていれば、選手たちはもっと活躍できるかもしれない。

クラスの中で有利不利が出てきてしまうのは仕方ないので、自分の体(クラス)が有利になるスポーツを選ぶことも、勝負する上ですごく大事なのかなと思う。
(さまざまなパラスポーツの)連盟が連携したり、その選手が小さいときから選択肢を与えてあげたりして、その人が一番活躍できる場所を選ぶ。そういったことに力を入れてもいいのかなと思う。

10月末現在、7つの日本記録を保持。はつらつとした笑顔で多くの人を魅了し、自分の意見をはっきり言うことで存在感もあった。多才なパラリンピアン・一ノ瀬メイの新たな旅路が始まる。

text by Asuka Senaga
photo by X-1

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