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水泳の一ノ瀬メイが引退。「水泳が人生じゃなくて、人生の中に水泳がある」

パラサポWEB

パラリンピックは社会を変える。そんなパラリンピックの力を信じて突き進んできた一人のスイマーが引退を決意した。

リオパラリンピック日本代表の一ノ瀬メイ。24歳。京都で生まれ、1歳半から障がい者スポーツセンターで水泳を始め、9歳から本格的に競技を開始。比較的障がいクラスの軽いS9クラスで数々の日本記録を打ち立て、アジアパラ競技大会、世界選手権などの日本代表としても活躍。2019年からオーストラリアに拠点を移してトレーニングに励んだが、東京パラリンピックは出場権を逃していた。

【過去のインタビュー記事】一ノ瀬メイ・武者修行先のオーストラリアで思い巡らすスイマーとしての存在価値

一ノ瀬は10月29日、引退会見を開き、「水泳でできることはやりつくした。今、パラリンピックを目指し始めた9歳の頃の自分が想像もできないような景色を見ることができている。感謝で胸がいっぱいです」とあいさつした。

10月末で所属の近畿大学も離れる。プールでは涙を見せることも少なくなかったが、この日の表情は晴れやかだった。

10月31日付で現役を引退することを発表した一ノ瀬メイ

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主なコメントは以下の通り。

――引退を決めたきっかけは?

2018年から考え始めた。理由はいろいろあるが、東京2020パラリンピックが延期になり、目指していた舞台がなくなったとき初心に返って考えるきっかけをもらった。自分は社会から障がいをなくしたいと思って水泳をしている。それなら、水泳という手段はもうやりつくしたんじゃないかという思いが強くなった。

(引退にあたり)発信の手段としての水泳を手放し、これからは違う手段で発信したい思いが大きくなったが、これからも「社会から障がいをなくしたい」という思いは一切変わらない。

――引退を考えるようになった2018年に何があったのか?

自分が日本代表を逃した年であり、クラス分けの見直しが行われてライバルが大幅に入れ替わった時期。

(力を発揮できず、苦しい思いをした)リオパラリンピックで一番学んだことは、自分のコントロールできるものと、できないものをしっかり分けることと、自分のコントロールできないものは手放して、コントロールできることに100%力を注ぐことだった。

一方、“誰と戦うか”は競技に直結すること。自分でコントロールできない面がたくさんあり、そこから自分の中でモチベーション上げたり、気持ちの整理をしたりすることが難しいと感じることが多くなった。

2016年のリオパラリンピック代表選考戦を印象に残っているレースとして挙げた ――周囲に報告したときの反応は?

ずっとオーストラリアにいたので(近畿大学水上競技部の)山本監督とはZoomで話をしていた。(東京パラリンピックの日本代表選考が終わり)「これからどうする?」と聞かれて「もう泳げません、もうやり切りました」と答えた。「ようやった、お疲れ様」と言ってもらった。

これまで母には何回も何回も相談していた。(引退を報告したときは)「長い間、頑張ったね」と言ってくれたのと、「これから何しようか」と一緒にワクワクしてくれた。

――パラ水泳の仲間の反応は?

(同じ年齢で東京パラリンピック代表の)西田杏選手に引退することを伝えたら、「これからが楽しみだね」というメッセージをくれた。西田選手からは、東京パラリンピック代表を逃した際も「リオから今まで若手を引っ張ってくれてありがとう」と長文のメッセージをもらったが、これまでの自分を知ってくれている選手が前向きな返事をくれてうれしかったのを覚えている。

――今後の発信手段は?
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