クレイジーキャッツ研究の集大成となる佐藤利明氏の「クレージー音楽大全」を読んで
クレイジーキャッツ研究の集大成となる佐藤利明氏の「クレージー音楽大全」を読んで
「クレイジーキャッツが日本のビートルズである」と、佐藤利明さんは長い間ずっと考えてきたという。 大瀧詠一さんともそういう話をしたことがあるけど、具体的にメンバーの集まり方、彼らの個性、亡くなってもなお解散していないことも […]

「クレイジーキャッツが日本のビートルズである」と、佐藤利明さんは長い間ずっと考えてきたという。

大瀧詠一さんともそういう話をしたことがあるけど、具体的にメンバーの集まり方、彼らの個性、亡くなってもなお解散していないことも含めて、日本でビートルズに喩えられるグループというのは、クレイジーキャッツだけ。存在と社会的影響力と文化的なある種のアイコンとしてもね。そこを検証してみようじゃないかと。

戦後の焼け跡でジャズと出会い、バンドマンとしてそれぞれの青春を過ごしてきた七人の若者が、いかにして「ハナ肇とクレイジーキャッツ」となっていったのか?

1997年の「無責任グラフィティ クレージー映画大全」(フィルムアート社)2010年の「植木等ショー! クレージーTV大全」(洋泉社)に続く、佐藤さんの3部作における集大成の書『クレイジー音楽大全 クレイジーキャッツ・サウンド・クロニクル』を読んだ。

1961年8月20日、ハナ肇とクレイジーキャッツ、そして植木等にとってのデビュー・シングル盤となる「スーダラ節」が、東芝音楽工業(東芝レコード)から発売された。その二ヶ月前には日本テレビで音楽バラエティの「シャボン玉ホリデー」がスタートし、クレイジーキャッツの黄金時代が、いよいよ幕を開けようとしたところだった。
そして「スーダラ節」が大ヒットしたことから、東宝映画『ニッポン無責任時代』が翌年に製作されたのだったが、これも大ヒットしたことによって主演の植木等が、真っ先にスターになっていく。

大人の社会を構成している権威やルールへの反発、そこから生じる怒りや嘲笑がアナーキーな歌詞の歌とともに、乾いた笑いによって描かれた『ニッポン無責任時代』は、突然変異的なピカレスクロマン(悪漢物語)の傑作だった。

この映画が少年たちに与えた影響は大きく、これを観てぼくは人生観が一変したことをよく覚えている。
とりわけ主題歌の「無責任一代男」は強烈で、いわばメッセージソングとして心に深く刻まれたのである。

♪人生で大事な事はタイミングにC調に無責任
とかくこの世は無責任 コツコツやる奴はご苦労さん!

それまでのぼくは真面目な優等生タイプだったが、小学6年生でその後の生き方が決定づけられたと思う。
そういう意味において、この映画が持っていた問答無用の破壊力は決定的だった。
3年後に体験するビートルズの衝撃とも、まったくいい勝負だったのは間違いない。

やがてハナ肇と谷啓がそれぞれ映画に主演するようになり、犬塚弘もそれに続いたが、植木等が八面六臂の活躍を見せるクレイジー映画もまた、同時進行で次々に製作された。
有楽町にある映画と実演の殿堂だった日本劇場や、日比谷の宝塚劇場のショウにはたくさんの観客が押し寄せた。
こうして高度成長時代にさしかかった戦後のニッポンを、クレイジーキャッツの無責任ブームが歌と映画で、席巻していったのだった。

「スーダラ節」でブレイクした時に植木等は34歳、20代だったサックスの安田伸をのぞくと、5人がすでに30代になっていた。

10代で音楽の道を目指した若者たちが、どのようにしてプロのジャズメンになったのか? それがどうして不世出のコミックバンドへと変貌し、大きな成功を手にしていったのか?

『クレイジー音楽大全 クレイジーキャッツ・サウンド・クロニクル』には、そのあたりのことが実に懇切丁寧に描かれていて、日本の音楽史がくっきりと見えてくる。
その点について佐藤さんは、「とにかくクレイジーキャッツになるまでのところを事細かに書きたかった」と、動機を語っている。

だから無名のジャズメンだった時代にメンバーたちがそれぞれの場面で出会っていく話や、渡辺プロダクションができてともに成長していく時代については、ある程度の物語性が必要だと思ったそうだ。

植木さんをインタビューしたテープが、佐藤さんの手元に何十時間分あったのを聞き直してみると、すごく示唆に富んでいることをたくさん語っていた。
そこで、それを手がかりに調べていって、いろんな人とのエピソードを思い出して、クレイジーキャッツ誕生までを物語的にまとめていったという。

もちろんそこでは谷啓さんと親交が深く、犬塚弘さんと長時間に渡って対話してきたなかで得られた、佐藤さんだけが持っている知識や情報が役立ったのは当然だろう。

しかしながら、空前の人気者になってブームが巻き起これば、頂点を極めた後にはかならず下り坂が待っている。
1970年には同じ渡辺プロダクションの後輩で、1966年に来日したビートルズの武道館公演で前座に出たザ・ドリフターズの時代へと、人気者の座は若返りつつあった。

クレイジーキャッツはその頃、人気はまだそれほど落ちてはいなかったが、社会的な影響力がかなり低下し始めていたと思う。
国民的な人気スターになったことと引き換えに、異端児的な要素がなくなったことによって、奔放でアナーキーだった強烈な個性が影を潜めていたからだ。
そう考えると実質的な黄金時代は、10年に満たなかったのかもしれないが、そういうところにもビートルズと重なってくるところがある。

ただし両者の大きな違いは下積み時代の年数で、楽器を手にして2、3年でセミプロになったビートルズは、その時点でバックバンドとしてレコードを出すまでに至っている。
それに比べるとクレイジーキャッツの場合は、個人のキャリアがいずれも10年前後と長かった。
なぜならばジャズメンとして個人が一流のプレーヤーにならないことと、「笑いと音楽」を追求するといった実験的な舞台をグループで試していくことなど、到底できなかったからである。

そこがアマチュアとプロの間にさほど差がない音楽のロックと、歴然と表現力に差が存在するジャズとの、根本的な相違なのかもしれない。
クレイジーキャッツとはあのジャズの時代の終焉にしか誕生し得なかった、戦後ニッポンの奇跡だったのではないだろうか。

クロニクルというだけあって資料的価値が高く、力のこもった労作を読み終えても、まだ考えさせられることが多かった。

ハナ肇とクレイジー・キャッツ関連楽曲 佐藤利明さん関連書籍

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

クレイジーキャッツ研究の集大成となる佐藤利明氏の「クレージー音楽大全」を読んでは、【es】エンタメステーションへ。

(更新日:2018年9月13日)

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