全盲状態で行うブラインドサッカーは、転がすと音の鳴るボールを使うが、空中では音がほぼ鳴らない。トラップを習得することも難しいとされるブラインドサッカーでダイレクトシュートはなかなか見られるものではないのだ。
“奇跡のゴール”とは言っても偶然の産物ではない。実は特訓も重ねていた。盲学校教諭でもある黒田は、すべての代表練習に参加できるわけではなく平日は授業の後に職場の体育館でボールを蹴る。今大会の前は、サッカー経験のある同僚に浮き球を出してもらい、ディフェンスのいる状態でシュートをする練習も行っていたと明かす。
「もしかするとその練習も役に立ったのかもしれませんが、練習ではきれいに決まることはありませんでした」

ゴール裏でガイドする中川英治コーチのコメントも興味深い。
「トモ(黒田)はクリエイティブな選手。声がけの仕方は選手によって異なるのですが、トモのクリエイティブないいところを消さないように、あまり指示しないようにしています」
そもそも2002年にブラインドサッカーに出会った黒田がこの競技にのめり込んだきっかけは、視覚障がい者競技の中でも自由度が高い競技だったからだ。ガイドされるまま左右前後に動くだけではない。自分の判断でピッチを縦横無尽に走ることができるし、ときに空中戦だってできる。日本代表が誇るクリエイティブなストライカーなのだ。
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中川コーチは振り返る。
「僕が『撃て』というタイミングでシュートを打たずに得点を入れることもあるし、『まだ』というときに撃って得点することもある。僕の声を裏切ってくれたほうが点が入ったりするんです。ですが、今大会は3ゴールとも2人のタイミングがぴったり合いました」

パラリンピックに向かう中で調子を落とした時期もあった。だが、今大会はチームで取り組んだコンディショニングがうまくいった。気持ちの面でも充実していたに違いない。
「過去の大会でいい結果が出なかったときを振り返ると、自分のプレーに迷いがあったように思うんです。ここまで来たら迷わずに自分の判断を信じようと意識して大会に臨んだのもよかったのかな」

そう話す黒田にとって、東京パラリンピックは、ようやくたどり着いた檜舞台。無観客だったものの、その舞台は奪われることなく無事に開催された。そして、同じ障がいの選手たちと世界一を争い、全盲ゆえの超人的能力を見せつける。長年の思いが実現する最高の舞台だった。
パラリンピックを終え、得点を期待されるプレッシャーから解放された黒田に話を聞いた。
10日ほど経ち、久しぶりにボールを蹴ったとき、原点を思い返し、サッカーへの変わらぬ思いを感じたという。
「日本にまだブラインドサッカーがなかった小学生時代、壁に向かってボールを蹴るのが、ただ楽しかったなって」

人間の可能性を魅せるパラリンピックでの挑戦は一区切りついたが、「サッカーがうまくなりたい」という純粋な気持ちでボールを追う黒田のフットボールライフは続いていく。
text by Asuka Senaga