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田中律子語る筒美京平さんの忘れられない助言「顔の見える歌い方を」

女性自身

田中律子語る筒美京平さんの忘れられない助言「顔の見える歌い方を」

 

そんな田中さんがスカウトされた当時は12歳。父方のおばが原宿と町田で経営していた洋服店を手伝っていたときだったという。

 

「町田のお店のほうで、ハッピを着て春のセールの手伝いをした帰り、おばと歩いていると、何度か前を通り過ぎる不自然な2人組の女性がいて……。それがモデル事務所のスカウトだったんです」

 

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当初、モデルとして活動することに難色を示していた両親だが、元スタイリストだったおばが「女の子なんだから、いいチャンス。アルバイトで社会経験させると思って、やらせてあげなさいよ」と説得してくれた。

 

こうしてオーディションを受け始めると、テレビCMや、ティーンエイジャー向け雑誌のモデルの仕事が、徐々に決まっていく。

 

「中2のときには、片岡鶴太郎さんが司会を務める『鶴ちゃんのいちごチャンネル』(’85~’86年・テレビ朝日系)に、アシスタントとして出演することに。生放送で、目の前でアイドルが歌う場面もたくさんあり、なかには大好きなシブがき隊も! まだ怖いもの知らずの中学生だったから、モックンに直接、サインをお願いしちゃったりしました。その後も、テレビに出るたびに『モックン、大好き』って言っていたら、めでたく“ご本人公認”のファンになったんです(笑)」

 

 

■歌番組が減る中、歌手としては鳴かず飛ばず……

 

芸能界での仕事が増えていくなか、中学を卒業。高校はアイドルが多く通う堀越学園に進学した。

 

「ちょうどそれくらいのタイミングで、突然、事務所の方から『歌、やるよ』と。それまで歌のレッスンはしていなかったので“え!?”って、びっくりして。しかも杏里さんの“妹分”としてのデビュー。『CAT’S EYE』や『悲しみがとまらない』などのヒット曲はもちろん、『砂浜』というバラード曲が、歌詞もメロディラインもとにかく大好きで、いまでもカラオケで歌ったりします。作詞・作曲を担当したかおる(伊藤薫)さんには、私の曲もお願いしたんですよ」

 

レコード制作には、杏里の制作陣も名を連ねたという。なかでも感激したのは、筒美京平さんが直々にレッスンしてくれたこと。

 

「当時すでに大御所の先生だったので、最初は緊張したんですが、すごく優しい先生でした。『君は声に特徴がある。もっとキョンキョンみたいな歌い方を心がけて練習するといいよ。“この声って、この人だよね”という“顔の見える”歌い方をしなきゃ』とアドバイスしてくださったのを、よく覚えています」

 

歌手デビュー後は、3カ月に1枚のペースで新譜を発表し、そのたびに衣装を詰めたトランクを担いで、全国へ営業に出かけた。

 

「各地のラジオ局や、レコード店を回ってプロモーションをするのですが、お店の前やデパートの屋上で歌うことで、けっこう本番力も養われました。2番の歌詞を忘れてしまい、とっさに1番を歌い続けたり、ラララ、ルラルラで乗り切ったことも。いまだに当時の困ってしまう夢を見て、びっくりして起きてしまうことがあるんです」

 

田中さんが歌手デビューした’88年ごろは、すでに歌番組が減り、バラエティ番組に活路を見いだすアイドル=バラドルという新しいジャンルが生まれた時代。

 

「クイズ番組で正解しないと歌えなかったり、水泳大会ではキャーって水を怖がっているアイドルを尻目に“よっしゃー!”と誰よりも早く泳ぎきって、賞品のスクーターやダイヤのネックレスをもらったりしました」

 

必死に努力はしたが「歌手としては鳴かず飛ばずでした」という田中さん。だが、それでもテレビの世界で頑張り続けたからこそ、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったフジテレビの、月9ドラマ『愛しあってるかい!』(’89年)への出演も果たせた。

 

「陣内(孝則)さん、柳葉(敏郎)さん、そしてキョンキョン(小泉今日子)と、豪華な方々と共演できたことは、私にとって大転機。視聴率もすごくよくて、1,000円が入った大入り袋が、スタッフの方を含めた全員に、配られました。カラオケに行くと、エンディング曲だったキョンキョンの『学園天国』(’89年)を、友達に勝手に入れられたりしましたね(笑)」

 

昼間は堀越高校の、夕方からは学園ドラマの生徒として――。

 

「一日中、制服を着ていましたね。撮影の合間に、ADさんに期末テストの勉強を教えてもらったり、プロデューサーさんに『修学旅行、行きたいだろ』って京都に修学旅行に行く回を作ってもらったり、楽しい思い出ばかりです。陣内さんはホームパーティに招いてくれたうえ、『律子は俺の生徒だ』って紹介してくれました」

 

歌の現場でも、ドラマの現場でも、勢いを感じた’80年代。

 

「私たち高校生も大人のように扱ってくれて、すごい熱量で一つの作品を作り上げました。この経験は間違いなく、その後の人生の糧となっています」

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