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「原点は恩返し」全盲の佐藤ひらりがパラで国歌の夢を叶えるまで

女性自身

「原点は恩返し」全盲の佐藤ひらりがパラで国歌の夢を叶えるまで

 

「ごめんね、でも絶対守るからね」

 

その日から20年。

 

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「ずっと守ってもらって、すっかり頼りきりになりましたー」とおどける娘に、母は「ほっんとだよー」と笑顔でツッコミを入れる。声を上げて笑い合う母娘の表情に、悲愴感は一片もない。

 

しかし、彼女たちの前に壁があったのも事実だ。ことあるごとに「全盲の子には無理」「無謀すぎる」とやゆされ、言外に反対されたことも一度や二度ではない。それでも母娘は、障害なんてものともせず、周囲の無理解を笑い飛ばし、歩みを止めなかった。目標を1つずつクリアし、いくつもの大きなステージに登り続けた。

 

そんな母娘にとっても、この夜は特別な、長年待ち焦がれた夢の舞台だった。

 

「もう何年も前から、母も私も、パラリンピックでの国歌の独唱が夢でした。小池都知事や丸川大臣にお会いする機会があったときも『国歌、歌いたいんです!』ってアピールしてました」

 

積極的に夢を公にし、突き進むのが母娘の流儀。 絵美さんも言う。

 

「もう、あっちでもこっちでも『これやりたい、あれやりたい』って言いふらすんです。そうすると『だったら手を貸しましょう』っていう人が現れてくれる、そういうものなんですよ」

 

 

■作詞作曲した楽曲が被災者を勇気づけ、アメリカの聴衆までおおいに沸かせた

 

ひらりさんは日本バリアフリー協会が主催する、障害者の国際音楽コンクール「ゴールドコンサート」に出場。10年、小3の秋だった。

 

「ひばりさんの曲同様に大好きな『アメイジング・グレイス』を歌って、ひらりは史上最年少で観客賞と、歌唱・演奏賞をいただいたんです。お客さんが選んでくれた賞ということで、『それなりに、この子は誰かに届く歌を歌えてるんだな』って確信が持てました」

 

翌11年3月。東日本大震災が発生。その被害の大きさに、多くの人同様、ひらりさんも胸を痛めた。

 

「地震のこと、テレビのニュースで聞きながら、これは私の想像もつかないような大変なことが起きたんだ、そう思いました」

 

母は娘に、被災地を応援するための曲作りを提案。その瞬間、ひらりさんの脳裏に「過去・現在・未来」という言葉が浮かんだという。

 

「それで、4年生になってすぐ『みらい』という初めてのオリジナル曲を作りました。私には見えないけれど、被災した人たちはいま、暗いことばかりに目がいってしまうんだろうな。でも、心の目を開いて、明るい未来を目指して歩いていこうよ。そういう思いを込めて作った曲です」

 

まず、被災地・福島から三条市内の施設に避難してきて暮らす人たちの前で、ひらりさんは『みらい』を歌った。その年のゴールドコンサートや、慰問に訪れた東北の仮設住宅でも。やがて、曲を聴いた人たちから「CDにして」という声が上がる。絵美さんが言う。

 

「それで、自費制作したんです。1枚1千円のシングルを1千枚。それを、イベント会場などで販売したら予想以上に売れて。14年にCDの売り上げ100万円を、あしなが育英会を通じ震災遺児の人たち宛てに寄付することができました」

 

活躍は国内だけにとどまらない。13年夏には、アメリカでもっとも有名なクラブの1つで小6のひらりさんが、満員の観客から万雷の拍手を浴びていた。経緯を絵美さんが説明してくれた。

 

「5年生のときのゴールドコンサートでグランプリを獲得して、副賞にペア航空券をいただいて。どうせなら歌える場所に行こうよってことに。でも、肝心の航空券は繁忙期は使えなくて、結局自腹で行ったんですけどね(苦笑)」

 

飛び込んだのが、ニューヨークのハーレムにある「アポロシアター」。かつてジェームス・ブラウンやジャクソン5ら、そうそうたるスターを輩出した人気イベント「アマチュアナイト」に挑戦したのだ。ひらりさんは耳の肥えた聴衆を魅了し、スタンディングオベーションまで受けたという。

 

歓声の大きさで審査されるアマチュアナイトで、ひらりさんは十数組の出演者のなか、見事、ウイークリーチャンピオンに輝いた——。

 

 

■歌の原点は恩返し。開会式後、大量の「感動をありがとう」の言葉が何よりうれしかった

 

ひらりさんがアポロシアターで喝采を浴びた直後。13年9月の総会で、IOCは20年のオリンピック、そしてパラリンピックの東京開催を決定。

 

「ちょうどテレビでそのニュースを見てたんです。それで、またしても勝手に決めて横にいたひらりに言ったんです。『東京でオリパラだって。そこで歌うよ!』って」

 

述懐する母の言葉に、ひらりさんも何度もうなずいてみせた。

 

「以来、母はことあるごとにあちこちで公言するように。私ももちろん歌いたかったから、母と一致団結して言ってました。以前、小池都知事を表敬訪問する機会があって。その自己紹介でも『開会式で国歌斉唱するのが夢です』って」

 

16年、新潟市内の盲学校の中学部を卒業したひらりさんは、点字楽譜などが学べる高度な学習環境を求め、国立筑波大学附属視覚特別支援学校を受験し、見事合格。

 

「高等部の音楽科は毎年1〜2人しか入れないところで。ひらりの代も、この人1人だけなんです」

 

東京都文京区にある同校に通うため、母娘は上京。新潟から東京に拠点を移し、2人暮らしを続けた。同校卒業後、ひらりさんは武蔵野音楽大学に進学。

 

「去年の3月だから、ちょうど大学に入る少し前ですね。ひらりはパラリンピック開会式のキャストのオーディションを受けたんです」

 

しかし、新型コロナウイルスの世界的流行が深刻さを増し、ひらりさんの大学の入学式も中止に。

 

「その影響なのか、その後、組織委員会からは一切、連絡が来なくなって。’21年に延期が決まった後も『依然、開催予定です』っていう連絡が何度かあっただけで。オーディションの合否もわからないまま年が明けて……」

 

不安を募らせていた母娘のもとに、合格の通知があったのは今年4月のこと。絵美さんが続けた。

 

「でも、いったい何のキャストに受かったのかがわからなくて。歌えるのかな、歌えるとしたら、何を歌うのかな。曲目のお知らせがないってことは国歌かなって……」

 

そして迎えた今年6月。2人は自宅から組織委のオンライン・ミーティングに参加。絵美さんがパソコン画面に向かって尋ねた。

 

「ひらりが選ばれたというのはお聞きしましたけどいったい何に?」

 

すると、モニターの中で開会式の音楽担当ディレクターが満面の笑みを浮かべるのが見えた。

 

「オーディションでひらりちゃんの歌、聴かせてもらいまして。満場一致で決まりましたよ、国歌です、国歌独唱です」

 

その言葉に、床に座っていた母娘は、体が浮き上がるほど喜びを爆発させたという。

 

「2人してね、『やったー、やったー!!』って、跳び上がりました」

 

しかし、コロナ禍でパラリンピック東京大会は無観客での開催に。それは、開会式も例外ではなく、貴賓席など一部を除き、観客の姿はそこになかった。それでも、中継や配信を通じ日本の隅々に、世界に、彼女の歌声は届いていた。

 

「歌っている間もずっと緊張していて、終わった瞬間もホッとする気持ちが強くて。あまり実感もなかったんです。でも、控室に戻ったら、ものすごい大勢の人からお祝いのメッセージが鳴りやまないぐらい来て。そこからジワジワと『私、やったんだなぁ〜』って感動が込み上げてきました」

 

メッセージの多くにつづられていたのは「ありがとう」という言葉だった。

 

取材中、笑みの絶えなかった絵美さんが、珍しく声を詰まらせながら、こう続けた。

 

「……もうね、『感動をありがとう』とか『ひらりちゃん、頑張ってくれてありがとう』とか……、本当に『ありがとう』が、いっぱい届いたんです。私たちの原点は恩返しだから。ひらりの歌で『ありがとう』と言ってもらいたくて始めたことだから。だから、ここまで2人で続けてきて……、本当よかったって。そう思いました」

 

 

■失敗を失敗と思わない。母娘2人、まだまだ新たな夢の途中にいる!

 

「無謀だ、むちゃだって、もう、散々言われましたよ」

 

絵美さんはこう言って笑った。

 

「私たちはこれまで、たくさんの夢をかなえることができましたけど。その過程にはきっと失敗もあったはずなんです。はず、というのは、私たち、失敗と思わないので。それに、自分1人ではかなえられる夢なんてないとも思ってる。ひらりには『周りのたくさんの人に、自分の夢のこと、話しなさい』って教えてるんです」

 

そう、「無謀」とあざける人がいるいっぽう、手を差し伸べてくれる人も必ずいた。だから、2人は今日も、堂々と夢を語る。

 

「私は、スティービーとひらりの共演が夢です。だから私も、いまから英語、勉強しとかなくっちゃ」

 

母がこう話すと、娘がすかさずツッコミを入れる。

 

「それ言うなら、スティービー・ワンダーでしょ。ファーストネーム呼び捨てって、友達ですか(笑)」

 

いっぽう、当のひらりさんの夢はというと。

 

「私は『全盲の』という看板を下ろしたいです。昔、保育園や小学校で『見えないのにすごいね』とよく言われて。私、いつも怒ってました。『見えないのにって、必要ないでしょ!』って。だから、理想は歌を聴いた人が『え、見えないの?』って驚いてくれるようなミュージシャン。それこそ、スティービー・ワンダーですね」

 

笑顔で答えたひらりさんを、絵美さんがうれしそうに抱きしめた。母娘は、いまもまだ夢の途中だ。

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