シリーズ第1作公開50周年を前に『男はつらいよ』のエピソード・ゼロが刊行!山田洋次監督が書き下ろした初小説作品『悪童』
シリーズ第1作公開50周年を前に『男はつらいよ』のエピソード・ゼロが刊行!山田洋次監督が書き下ろした初小説作品『悪童』
 筆者がまだ年端もいかない幼少の頃、両親が「男はつらいよ」シリーズを鑑賞して、目頭を押さえていた記憶がある。人の道を歩きだしたばかりの筆者は、「寅さんのせいでみんなバタバタしているのに、なんで泣きそうなの?」と疑問を抱いていた。
『悪童(ワルガキ) 小説 寅次郎の告白』(山田洋次/講談社)

 筆者がまだ年端もいかない幼少の頃、両親が「男はつらいよ」シリーズを鑑賞して、目頭を押さえていた記憶がある。人の道を歩きだしたばかりの筆者は、「寅さんのせいでみんなバタバタしているのに、なんで泣きそうなの?」と疑問を抱いていた。

 しかし、今になって分かる。人情を片手に人の世を立ちまわろうと空回りする型破りな寅さんと、それに付き合わされる周囲のバタバタを描くこの作品は、心にグッとくるものがある。現代人が忘れてしまった人として生きる道、誰かと生きていく大切さと難しさを、心温まるエピソードにしたためて観る人に伝える。

 大人になって感じる。寅さんって荒っぽいけど、あったかいなぁ。

 第48作まで制作されたこの映画は、すべてシリーズが大ヒットする異例の作品となり、時代を超えた今でも根強い人気を誇る。渥美清さんのべらんめぇな口調が見る人の心をつかんで離さないわけだ。

『男はつらいよ』第1作を公開して来年で50周年。その節目を前にこのような作品が刊行された。『悪童(ワルガキ) 小説 寅次郎の告白』(山田洋次/講談社)だ。

 本作は、映画では描かれることのなかった「寅さんの少年時代」を寅さん自身が語る小説だ。書き手は原作者である山田洋次監督。まさに『男はつらいよ』のエピソード・ゼロにあたるこの作品には、映画に優るとも劣らぬ、登場人物たちの生き方を描いたエピソードがいくつも収められていた。

■寅さんの初恋の人・サトコ

私、生まれも育ちも東京は葛飾柴又でございます。姓は車、名は寅次郎。昔の仲間はフーテンの寅という仇名で私を呼びます。

 寅さんのそんな口上風の語りで始まる本作。空に駆け上がっていくような寅さんのあの口上が、いきなりよみがえってくる。

 この小説の魅力は、寅さんの過去を寅さんが語り続けるところにある。場所は居酒屋だろうか…。居酒屋だとすれば、人情あふれるマスターがいる常連でにぎわうお店だろう。そのすみっこの薄暗い場所で2人きりになって、寅さんが私たちにずっと語りかけるのだ。

生い立ちを話せとおしゃられてもねえ。どうってことはないんですよ。しょうもねえ悪ガキが場末の町で馬鹿なことばかりしてナリだけデカくなったという、つまらねえお話です。お酒ですか?いただきます。酒の力でも借りなきゃできませんよ、思い出話なんて。

 終始ずっとこんな調子だ。寅さんだ。寅さんがここにいる。お酒を片手にほろ酔いで語り続ける寅さんの思い出話が楽しめるのだ。

『男はつらいよ』の“お決まり”といえば、やはり旅先で出会うマドンナとの色恋だろう。本作では、寅さんの初恋の模様が描かれている。

 寅さんがまだ11歳の頃、葛飾を襲ったキャサリン台風の被害を受けて、家の裏手にある朝日印刷の女工・サトコが避難民として同居することになった。色が白くて、ほっぺたが赤くて、切れ長のこけし人形のような目をした18歳の可愛い娘だ。

 台風の影響で飲む水がなければ食べるものもない。そんな辛い日々がこれから始まろうというのに、寅さんは浮かれていた。びしょぬれに濡れた服を着替えるときにチラッと見えた白い肌。その光景にゾクゾクする背中。あっという間にサトコの虜になった。こうして初恋の日々が始まる。

 なにかにつけて「寅ちゃんはいい子だなっす、さくらちゃんに優しくて」と山形訛りでほめてくれるサトコ。寝静まった夜、隣で眠る彼女の寝息にドキドキしていると、寝返りを打ったサトコの太ももが寅さんの手に当たる。

眠れるわけがありません。避難生活の間じゅう、私は睡眠不足でボンヤリしていて、親父に拳固で思いっきり殴られたりしたもんですよ。

 誰もが経験する甘酸っぱい初恋に思わず微笑んでしまうが、幸せな日々は長く続かなかった。大人になった寅さんが失恋を繰り返すように、ここでも恋敵に出会ってしまう。鰻屋「うな芝」の店員・千吉だ。この女たらし千吉と寅さんが巻き起こす、甘酸っぱくもクスっとくるお話は、ぜひ本作で楽しんでほしい。

■寅さんの父親・車平造という男

 本作よりもう1つ、寅さんと父親のエピソードも取り上げたい。

 寅さんは、遊び人だった父親・車平造と、当時柴又で売れっ子だったお菊という名の芸者の間にできた子どもだ。産み落として間もない頃、お菊が京都に身売りすることになったので、邪魔になった赤子の寅さんを父親の家の前に捨てていってしまった。

 ここから寅さんのフーテンな人生が始まるわけだ。

 本作では、自分で仕込んだクセに、ヤケに寅さんを嫌い続ける父親の姿が目につく。読んでいて胸が痛い。実の父親から「こいつは馬鹿だ」と罵られ、疎まれ、邪魔者扱いをされる。ときには近所のオヤジたちの前で罵られて笑い者にされる。

 そのわりに自分は働かないし、空気を読めずに妙な行動を繰り出すし、どうもロクでもないのは父親のほうだと感じる。

 唯一の救いは、育ての母・光子から愛されたことだ。しかしそんな光子も病気で亡くなってしまう。居場所をなくした寅さんがのちに父親と大喧嘩して家を飛び出すのもうなずけるし、その後再び柴又に帰ってきて巻き起こす型破りさにも納得できる。

 この父親があって、あの寅さんがいるわけだ。寅さんの言葉を抜粋しよう。

私が茶の間のラジオに合わせてこの歌を黄色い声で歌っていますとね、親父がジロッと睨んで「馬鹿な奴だ、どうせロクなものにゃならねえ」と云うんでございます。ああいうことを親が子どもの前で云うもんじゃありませんね。なにかにつけ馬鹿だアホだ、と云われているうちにとうとうこんな人間になってしまいました。せめて、懲役にいかなくてよかったぐらいなもんです。

 言葉にできない複雑な思いがわきあがる。

 だが、こんな父親にも同情すべき点はある。寅さんが生まれたのは、まだ日本とアメリカが戦争をしていた頃のこと。だから父親も出征した経験がある。

 そして、もう二度と会えないと思った父親が無事に生還。家の前で迎えると……変わり果てた姿をしていた。何日も口にしていないのか、干からびたスルメのような身体で、風呂に入れると木の葉っぱのようにプカプカ浮かぶ。大好きで溺愛している娘・さくらと再会しても、冷たい瞳でじっと見つめるだけ。

 無事に身体が回復したあとも夜中にうなされる。光子によれば、戦地で現地の罪のない人を、それも子どもを殺したのではないかという。想像を絶する経験に心が壊れてしまったのだ。

 なにひとつ家長らしいことをせず、自分の責任でつくった子どもを愛さず、ひたすら酒を飲んでアル中になった父親。憎むべき存在だが、彼は彼で事情がある。この人の人生の複雑さを描くのが本作や『男はつらいよ』の魅力だ。そして、人それぞれの事情を推し量って理解し支え合う度量を失ったのが、現代人ではないだろうか。

 この他にも、妹のさくらが誕生したエピソード、戦時中や戦後の混乱、タコ社長や御前様などあの登場人物とのエピソード、そして最愛の母・光子の死など、『男はつらいよ』エピソード・ゼロにふさわしい魅力がたっぷりつまっている本作。読んだ者の心を動かすことは間違いない。

 こんな時代だからこそ、この作品を知らないイマドキの若者や仕事を頑張る壮年の人々にも観てほしいと感じる。寅さんの生き方は、普通に考えれば、けして褒められたものではない。しかし、その褒められない生き方が、ギスギスした生きづらい現代に心がすり切れてしまった人々に、ちょっとした気づきと潤いを与えてくれる。

 人が生きるということは簡単ではない。色々ある。いがみ合って、すったもんだがあって、けれど助け合う人々がいて、最後はお互い笑い合えるような結末が――。少なくとも、そんな結末をめざすことはできる。そんな生き方を、人情を、この作品を通して目にしてもらいたい。

文=いのうえゆきひろ

(更新日:2018年9月7日)

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