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原田龍二、いつでも “ふんどし一丁” の心意気「やってしまったことは仕方ない…だからこそ前を向く」

SmartFLASH

 笑顔で応じてテーブル席に座った原田が、店との出合いを語った。

 

「初めてお店にお邪魔したときのことは鮮明に覚えています。お店の前を通りかかったとき、まるで何かに導かれるようにのれんをくぐっていました。22歳でしたから『どうしてもうなぎが食べたい』ということはなかったと思うんですけど」

 

 原田はたちまち坂井さんの丁寧な仕事と味に魅了され、通うようになったという。

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「とはいってもうなぎはお高いですから、給料をいただいたときの『自分へのご褒美』、月に一度の贅沢でした。つき合い始めたばかりの妻ともちょくちょくうかがいました」

 

■やめることばかり考えていた若手時代

 

 原田は、大学生のとき渋谷でスカウトされた。しかし、芸能界にはまったく興味がなかった。

 

「硬派を気取っていましたから、芸能界はチャラチャラしているように見えたんです。だから事務所がすすめてくれたオーディションも “行ったふり” でサボってばかり。

 

 ですが、1990年の『第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』はマネージャーさんの “監視” もあったのでごまかせなかったんです」

 

 そこで準グランプリを獲得。グランプリは俳優の葛山信吾だった。2年後、ドラマ『キライじゃないぜ』(TBS系)で芸能界デビュー。ちなみに、妻の愛さんとはこのドラマで共演、親しくなった。

 

 ブレイクした原田だが、なぜ自分が売れているのか、ずっと「違和感」を抱いていたと打ち明ける。

 

「僕には演技の下積みもありませんし、何かのスキルがあるわけでもありません。言ってみれば『ぽっと出』です。仕事でほめられることもなく、ほめられなければやり甲斐も生まれません。『まわりの皆さんに迷惑をかける前に早くやめなければ』ということばかりを考えていました」

 

 しかし、仕事は途切れない。1996年に映画『日本一短い「母」への手紙』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。さらに注目された。当時の心境を原田は「葛藤する気持ちにふたをしました」と振り返る。

 

 そんなとき「自分を見つめるきっかけになった」というドキュメンタリー番組への出演依頼があった。『世界ウルルン滞在記』(MBS・TBS系)だ。

 

「いきなりスリランカ南部のインド洋でカツオの一本釣りをさせられました。だけど、海は大しけ。釣りのシーンは撮れませんでした。

 

 モンゴルには3回行き、今でも僕の馬がいます。ラオスにも3回。辺境の地が多かったですね……。ですが、そういった国だからこそ気づかされたことがあるんです」

 

 原田はそれを「とんでもない感動と価値観の崩壊」と表現した。

 

「日本の暮らしは便利ですが『物がないから不幸』ということはないと気づきました。一見、不自由と思える場所にこそ解放感だったり生きる力だったりの幸せが多くあった。

 

 そんなすべてが、それまでの僕の価値観に衝撃を突きつけ、そして崩れました。そこからは新たな価値観を構築する作業を繰り返しました」

 

 この経験が「人間・原田龍二」の形成にどう影響しているのだろうか。

 

「それがまだわからないんです。ただ仕事も含めて『すべての出会いは偶然ではなくかけがえのない必然』と思うようになりました。『今、目の前にあることを全力でやらなければ』という気持ちです」

 

 

 

「自分が自分のいちばんの応援者でいよう」と心がけました

 

 2年前、複数のファンとの4WD車内不倫が発覚。謝罪会見をした。

 

「報道されたときは『これで仕事がなくなる』と思いましたが、頭の中が真っ白で何をしたらいいのか思い浮かびませんでした。しかし『ご迷惑をかけた方が大勢いらっしゃるのだから謝罪会見をしなくては』と考え、あの会見を開かせていただきました」

 

 そして「形だけの会見ならやらないほうがいい。やるからには質問がある限り続ける」と決意。会見では「車内での行為が好き?」と直球の質問もあったが、原田は動揺しながらも「大好きではありません」と誠実に返答した。

 

「答えづらかった質問ですか? すべてです(笑)。でも、責任を取るとはそういうことだと思います。会見が受け入れられたかどうかはわかりませんが、再び手を差し伸べてくださった方がいらっしゃったことには感謝の言葉しかありません」

 

 不倫報道後、カムバックがかなわない芸能人もいるが原田はどうとらえているのか。

 

「僕がよそ様に意見する立場にないことは承知していますが、僕は『自分が自分のいちばんの応援者』でいようと心がけました。『原田、お前には100人の敵がいるけど俺だけは見捨てないぞ。頑張れ』と。

 

 不謹慎といわれるかもしれませんが、やってしまったことは仕方ないと思うんです。だからこそ “前” を向いてほしいです」

 

 応援者はもう一人いる。「大麦若葉」のCMでも共演している妻の愛さんだ。

 

「世間的には『何やってんだ』という声もあると思いますが、『私で協力できるなら』と言ってくれた妻には、心から『一緒になってよかった』と思いました。妻がどう思っているかわかりませんけど(苦笑)。これからの人生、二人三脚で歩めたら嬉しいですね」

 

 デビュー当時、芸能界に違和感を抱いていた原田だが、来年で芸能生活30年になる。変化はあったのだろうか。

 

「居心地の悪さは今でも変わりませんが、最近は『この仕事をするために生まれてきたのかもしれない』という宿命みたいなものを感じます。

 

 演技が上手なわけでもない僕を起用してくださるということは、何かで必要とされているのだろうと。だから僕は、出会った皆さんに幸せになっていただきたいんです。

 

 そのためにはふんどし一丁にもなりますし、ロケ先ではサインを求められなくても『どなたかに差し上げてください』と自分からサインを書きます。そのやり取りで皆さんが笑顔になってくだされば、僕はとても嬉しいです」

 

写真・野澤亘伸

 

はらだりゅうじ
1970年10月26日生まれ 東京都出身 1990年、「第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを受賞。ドラマ『キライじゃないぜ』(TBS系)で俳優デビュー。1996年、映画『日本一短い「母」への手紙』で第19回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。『水戸黄門』(TBS系)で5代目佐々木助三郎役として2003年から2010年まで出演。その後、バラエティ、旅番組でも活躍して「温泉俳優」を自任。現在は『バラいろダンディ』(TOKYO MX 月曜〜金曜21:00〜21:54)の金曜MCも務めている

 

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(週刊FLASH 2021年9月14日号)

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