山本には、仕事か競技か、どちらかに専念する選択肢もあった。しかし、両方に愛着があった山本は、「講演」という新たな仕事の場を発掘した。
「人見知りで、人前で話すことは考えたことがありませんでした。でも、パラアスリートとして、パラスポーツの魅力や障がい者の思いを伝えたいという思いが人一倍強かった私は、スピーチトレーニングを受けたんです。そしたら講演がどんどん楽しくなり、得意かもと思えるようになりました。皆さんが人との違いを生かせていないと感じるなら、自分の周りを変えてみるのも手かもしれません」
――こうなると競技も充実。2019年日本選手権では日本記録を樹立した。
やっとスタートラインに立てた気がします
<2019年2月 日本選手権>大会開催前は、2018年に山本がつくった53kgが日本記録。しかし、今大会で山本は一気に6kgを積み上げる59kgを挙げた。しかも3試技とも、精度のよさを示す白ランプが3つ点灯した。
「今日は白9つとると決めていました。どうしても胸に下ろしたとき、片側に傾いたりする問題があって伸び悩んでいたんですが、やっとこの方向なんだと見えてきました」

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――以降、さらに上り調子になり、大きなコツもつかんだ。
自分を信じたら挙がる!
<2019年7月 カザフスタン世界選手権直後>世界選手権は59kgで12位に留まった。「挙がるわけない」と思い、挙げにかかったため、案の定、63kgを失敗したからだ。その思いは、コーチに見抜かれ、「俺はお前を信じてあがると思ったから、63kgって書いて出したんだぞ」と言われた。
「以来、自分を信じるってどういうことか考え始めたんです。その結果、挙げるだけなら65kgを挙げられたときがあって、コーチには“ほら、自分を信じたらあがるだろ、って”いわれました」
――心情の変化はさらに大きな結果を生む。同年9月、パラリンピックのテストイベント「Road to Tokyo 2020」で現在の日本記録63kgをマークした。
皆さんと夢を追っていける選手になりたい!
<2019年9月 READY STEADY TOKYO>上昇気流のなかにいた山本。パラリンピック出場のため、「早く65kgのMQS突破を」という願いは強まった。もちろん周りも同じように願い、応援してくれていることも十分理解していた。

――しかし、冒頭で述べた通り、この後に苦境が待っていた。「2019年度中には70kg台を挙げてランキング10位内に上げたい」と思っていたが、記録が伸びない。「自分に期待して出た試合はなかった」というほどだ。しかし、そんななかでも、どん底に陥らないための言葉を持っていた。
「あなたは笑っていなさい」
<2021年6月 ドバイ最終戦前談話>母は生まれたときから山本を支え続けてきた。母は、娘が落ち込んでいるとき、「あなたは笑っていたほうが成績を出せるわよ」と言ってくれた。また、ある経営者には「いつでも、すべてがうまく仕事なんてないよ」と言われたことも、前を向く力になっていた。
――こうして挑戦し続けた山本。東京パラリンピック出場という夢は叶わなかったが、これで終わりだとは思っていない。
まだ夢をかなえる途中だから
<2021年7月 パラリンピック前談話>当然、東京大会への戦いはつらく、いま「人生で一番落ち込んでいる」という。だが、山本はこうも話した。
「これでバーンアウトしたらダメ。この競技は、50、60歳でも金メダルがとれる。私はまだ夢をかなえる途中なんです。今後も続けることが大切だと思っています」
――「心の整理をつけられるのはまだ先」と言うが、それでも山本は必ず復活する。きっとそのときは、どう心身を再生したか、魅力的な言葉で教えてくれるはずだ。

text by TEAM A
key visual by Yoshio Kato