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届かなかった東京パラリンピック。パワーリフティング山本恵理、挑戦の軌跡

パラサポWEB

東京2020パラリンピック開幕の裏には、涙を飲んだ多くの選手たちがいる。その一人が、パワーリフティング山本恵理だ。出場叶わずも、山本は挑戦の過程で、多くの人の胸を打つ、力強い言葉を残した。挑戦の軌跡とともに、その言葉の数々を振り返る。

第20回全日本パラ・パワーリフティング国際招待選手権大会 photo by Yoshio Kato

これは、絶望ではない。

<2021年6月 ドバイ・ワールドカップ最終戦>

2016年に始めたパワーリフティング。パラリンピック出場は山本の夢だった。しかし、最終戦で3本とも失敗試技に終わり、女子55kg級に必要な65kgという最低出場資格基準(MQS)突破ならなかった。東京2020に出場できないことが確定し、心底悔しかったはずだが、それでも山本は気丈に前を向いていた。

「今日は、精度が悪くて成功にはならなかったけど、以前の悪い状態を考えたら、今日、65kgを挙げきれたことがうれしい。1歩とはいわないけど、半歩前進できました。だから、これは絶望ではないんです」

photo by Yoshimi Suzuki

――「悪い状態」とは、成績が伸び悩んだここ2年間をいう。とりわけ2020年8月は、亜急性甲状腺炎という慢性病にも襲われた。2ヵ月以上、練習できない不安な日々。薬の影響で体重も増え、2021年1月の日本選手権は出場を迷ったというが、パラアスリートとしての使命をまっとうすることを誓って、本来の階級ではない61kg級に出場した。

パラアスリートが一番伝えられるメッセージは、
「目の前に起きた困難をどう突破しにいくか」だと思う

<2021年1月 日本選手権61kg級に出場>

日本選手権の開催中も、新型コロナウイルスが蔓延。困難に直面した人は多かったはずだ。山本は、そんな人々に絶望してほしくない気持ちもあった。

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「パラアスリートは、起きてしまった困難に対し、どうすれば困難を突破できるかを考える。その姿にメッセージ性がある。私も出場にあたり、自分が目指せることは何か考え、できることに精一杯取り組みました。それによって、皆さんに元気を与えられたらいいなと思いました」

photo by Haruo Wanibe

――山本の心は温かい。「個」だけでなく、「公」を見つめる視線がある。これは先天的に二分脊椎症を持ち、幼い頃から健常者とは違う様々な体験をしてきたことが大きい。

違いを認識してきたからこそ生き抜いてきた

<2021年4月 シンポジウム>

2007年の統計によると出生数の0.048%が二分脊椎症で生まれる。山本は「すごい希少な違いを持って生まれたんだなと思う」と話す。その障がいのため、小1のとき、重いランドセルを背負うと転びやすく、母が「別のカバンを」と教師にかけ合ったことがある。しかし「みんなランドセルなので、ぜひランドセルで通ってきてください」と返されてしまった。

「(日本は)他人と同じことを求められがちな社会ですよね。就職活動中も “自分の違いは世の中では弱みなのか”と考え始めてしまいました。でも、パラスポーツについて学ぶためカナダの大学院に留学し、みんなで意見交換したとき、言われたんです。“どの論文の言葉より、恵理の体験のほうがリアルだね。恵理の違いは強みだよ。”って。そこから違いを強みにする方法を考え始めました」

2017年ユニバーサルアートフェスティバル in すみ photo by X-1

――そんな経験を経て帰国し、2015年に日本財団パラリンピックサポートセンターに入職。翌年、パワーリフティングを始めた。同時に仕事と競技の両立の悩みにもぶつかり始めた。

違いを生かせてないなら、自分の周りを変えてみる

<2021年4月 シンポジウム>
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