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パラリンピックの出番を待つ「ママアスリート」たちの物語

パラサポWEB

アスリートであり、母。「ママアスリート」という言葉がふさわしいかはわからないが、東京2020大会招致決定の後、女性アスリートへ支援の必要性が少しずつ認識されるようになったことで、ママアスリートの活躍が目立つようになってきた。

「出産後、元のプレーができるような体に戻すのはすごく大変でした。でも、子育ては一時的ではなくずっと続いていくもの。私の場合は、合宿や大会で託児所を設けてもらったおかげで競技を継続することができています」と話すのは車いすバスケットボール女子日本代表の藤井郁美。東京パラリンピックに出場するママ・パラアスリートたちはどんな思いを抱いて競技に取り組んでいるのか。ここでは3人の選手を紹介する。

【陸上競技 高田千明の場合】
全盲のジャンパーは「子どもは私の原動力」ときっぱり

夫、息子、そして競技パートナーの大森さんと写真に納まる高田千明

2度目となる今夏のパラリンピックで走り幅跳びに出場する高田千明。全盲のジャンパーは、2008年、デフリンピック日本代表の裕士さんと結婚し同年、24歳で男児を出産した。これまで子育てと競技生活の両立には悩みが多かったが、今は「子どもは私の原動力」と笑う。

「結婚して出産して陸上に戻ってきたとき、『地球ってこんなに重力があるのか』というくらい体が重かったです(苦笑)。その後、2年くらいは、子どもが『ママじゃなきゃダメ』ということが多く、今みたいに練習できませんでした」

それでも徐々に時間のやりくりをして練習時間は増え、記録もアップした。しかし2012年ロンドン大会はぎりぎりで内定がもらえなかった。

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「当時、子どものせいで、と言われるのは言われるのは絶対に嫌でした。両親からは子どもを産むとき、『健常の人だって子育ては大変なのに、見えない聞こえない夫婦が出産、子育てをして何かあったらどうするの、子どもにも障がいが出るかもしれない、パラリンピックの夢もあきらめることになるかもしれないよ』と言われたんです。でも、私はどちらか一つを選択することはできない、自分のやりたいことをやるんだと、自分を押し通しました」

2016年、気持ちのぶつかり合いを経てつかんだリオパラリンピックの出場権。このとき高田、そして両親も号泣した。

「内定が出た瞬間、ひとりで号泣しました。両親も号泣して、応援してくれてたんだなって。主人は『ここからがスタートラインだから頑張って』と言ってくれました。でも、息子のさっくんからは『僕はパパと二人でどれだけ長くいないといけないの、いつ帰ってくるの』と言われたんですよ(苦笑)」

それだけ愛息は折々でさみしい思いをしていたということだ。だが、東京大会で、さっくんは中学生になり、母をより理解している。

「保育園のかけっこでメダルをもらったりすることで、メダルはよいことという認識になり、もっと頑張れ、となったんです。アジアパラで銀メダルをもらったとき、私はうれしかったんだけど、彼は『金じゃないけど、メダルをもらえてよかったね』って(苦笑)。でも、これは、金が見たいから頑張れということ。だから今は、『ママすごいね』と言ってもらえるように頑張っています」

高田が「子どもは私の原動力」と話すゆえんである。

【バドミントン 山崎悠麻の場合】
「家族と離れている時間が多いぶん、一緒にいられる喜びが大きくなる」

夫とともに2人の息子を育てる山崎悠麻 ※写真は本人提供
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