2020年、Twitterで南極からの更新を楽しみにしていた方もいるでしょう。アカウント名は「南極炒飯」。南極で炒飯を作るということは……? そう、中華の料理人です。
「南極炒飯」こと依田隆宏さんは1985年長野県生まれ。東京・神田須田町「神田雲林」の厨房で腕を磨き、第61次南極越冬隊の調理担当となりました。依田さんは、何をきっかけに南極を目指し、どんな環境でどんな料理を作ってきたのでしょうか。帰国後、2021年6月に話を聞きました。
越冬隊、昨日より本格始動中。
南極にきた1番の理由はパワーアップ!あっという間の1年になる。1日1日をしっかり戦ってく。 pic.twitter.com/mHknV5ANA2— 南極炒飯@1年前を振り返る元最果てのコック (@ma_bo_tantan) February 5, 2020
俺、南極行くぞ。
―南極に行く前は「神田雲林」で働いていました。旬の食材をさまざまな中華料理で楽しませてくれる店ですね。
「ここで働いたら、他の店の二倍は勉強できるぞ」と先輩に言われたとおり、「神田雲林」はいろいろな食材が扱える店でした。日々新鮮な野菜や魚介が入荷して、上海蟹の季節などは仕込みに追われるほど。特に貝類は扱ったことがないものはない! というくらい、ありとあらゆる種類を扱わせてもらいました。
コース料理は慣れたと思ったら翌月新たなコースが始まり、忙しかったですね。約6年半勉強させていただきましたが、ここでの時間は本当にあっという間でした。
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(オーナーシェフの)成毛さんには、公私ともにお世話になりました。食事にもよく誘っていただいて。休みの日に「ちょっと来ない?」と声をかけていただき、行ってみると、成毛さん、奥さん、お子さん、僕、みたいな。

―充実した日々で、外に目が向いたきっかけは何だったのですか。
高校を卒業してからいろんな厨房で料理をしてきましたが、いつもチームでやっていたので、自分1人だったらどこまでできるのかわからないなあと思ったんです。そう思うようになったのは、ランチタイムに鍋を振らせてもらうようになってからですね。仕込みからお客様の前に出すまで、ひと通り自分でやってみたいという気持ちが出てきました。
その一方で、長年続けてきた厨房の中で働く環境から距離を置いてみたくもなったんです。自分はこのまま、こういうことを続けていっていいのかと。
―そこから、なぜ南極に?
そう考えるようになってから、まず思い出したのが「遠洋マグロ漁船にも厨房がある」という話でした。20歳くらいの頃に聞いて、ずっと頭に残ってたんですよね。