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吉沢勝の二重契約問題/週べ1963年9月2日号

週刊ベースボールONLINE

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。

ペナントレースは風雲急



表紙は左から南海・野村克也、西鉄・稲尾和久


 今回は『1963年9月2日号』。定価は40円だ。

 ドラフト前夜、自由競争の時代の話だ。かなり込み入っているので、うまく説明できるか自信がない。興味を持たれた方は当時の新聞などで調べてみていただきたい。
 
 長野県佐久市出身で、高校は北海道の北海高に進んだ左腕・吉沢勝の二重契約問題である。
 長野には母親が農業を営み(父は死去)、吉沢は北海道に住む母の兄の家に下宿し、学校に通っていた。
 吉沢は3年センバツの準優勝投手としてプロのスカウトの注目を集めたが、3年夏は南北海道大会で敗れ、甲子園には届かなかった。
 
 もともと巨人入りを熱望していた吉沢。巨人サイドも興味を示し、いわば相思相愛だったのだが、ここに割って入ったのが、阪急の丸尾千年次スカウトだった。
 名スカウトであり、同時にかなりのくせ者スカウトでもあったと聞く。

 丸尾は、甲子園に出場できず、「こんな自分に巨人が契約してくれるわけがない」と不安になっていた吉沢と北海道の母の兄に接触し、仮契約書を交わしてしまった(吉沢側の話だが)。

 驚いたのが巨人と母親だ。
 実は、巨人は母親と交渉を進め、もはや吉沢獲得が決まったくらいに思っていたという。
 母親が吉沢に尋ねると「やはり本当は巨人に行きたい」。その後、北海道の母の兄も別にそれほど大事な契約書と思わず、軽い気持ちで押印してしまったと話した。

 ただ、その後、巨人は吉沢と契約を交わし、コミッショナーに提出するも、すでに阪急からも正式な形で提出されており、二重問題として世を騒がすことになった……。

 この号は、そこまでで終わっていた。

 ペナントレースも風雲急。序盤不振だった西鉄が首位南海には9ゲーム差ながら、ついに2位に躍り出て、セもいまだ6ゲームではあるが、首位巨人の迫った中日が直接対決4連戦を控え、ともに燃えに燃えていた。
 いずれも助っ人3人を打線に並べるチームだった。

 ちなみに表紙はかなり稲尾の身長が高いように見えるが、南海・野村克也、身長175センチ、西鉄・稲尾和久、身長180センチ。合成なのか、角度の問題か。
 
 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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