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5分でわかる安土桃山時代!主な出来事を年表で、由来や桃山文化も解説!

ホンシェルジュ

縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良→平安→鎌倉→室町→安土桃山→江戸……。教科書に載っている日本史の時代名称の多くは、都や幕府があって政治の中心となっていた都市や地域の名前が用いられています。奈良や鎌倉など、ズバッと地名で言い表されているものが多いなか、ちょっとわかりにくいのが「安土桃山時代」。桃山ってどこ?戦国時代とはどう違うのでしょうか?

この記事では、安土桃山時代の特長や戦国時代との違いについてわかりやすく解説し、さらにこの時代をより深く知ることができるおすすめめの書籍をご紹介していきます。

安土桃山時代はいつからいつまで?戦国時代との違いは?

安土桃山時代がどんな時代なのかひと言で表すと、「織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握った時代」といえます。

具体的には、1573年に織田信長が室町幕府足利将軍家を追い出してから、豊臣秀吉天下統一時代を経て、徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利し江戸幕府を開いた1603年までの、およそ30年間を指すのが一般的です。

長い長い日本の歴史上の、たった30年間。とても短い期間ですが、それまでの常識を大きく覆す激動の時代でもありました。

一方で戦国時代とは、室町幕府後半から始まる日本中に小国が乱立し、覇権を巡って争いが絶えなかった時代を指します。さまざまな見解がありますが、一般的には応仁の乱が勃発した1467年から豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた1590年まで、または豊臣家が滅んだ1615年までとすることが多いです。

ということは、安土桃山時代と戦国時代はダブってしまっているのでは……?

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そうなんです。これも安土桃山時代をわかりにくくしている一因なのかもしれません。

政治の中心がどこにあったかという観点で見ると、室町時代から安土桃山時代、そして江戸時代という流れに。この時代がどのような時代であったかという観点で見ると、室町時代の後半から戦国時代に突入し、徳川家康が天下統一を成し遂げて江戸時代へ、という考え方もできます。

そもそも「○○時代」という呼び方は現代に付けられたもの。何百年も前の人たちが「今は戦国時代だよね」「いや昨年から安土桃山時代でしょ」と認識していたわけではありませんので、さまざまな説があってしかり。

ほぼ同時期の時代を表す呼び方として、政治の中心地を基準とした「安土桃山時代」と、どのような時代だったかを形容する「戦国時代」の2つがある、と考えてください。

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安土桃山時代の主な出来事を年表で紹介

1573年 織田信長が足利義昭を京都から追放し、室町幕府が滅亡。
 1575年 「長篠の戦い」織田・徳川連合軍が武田軍に勝利。
 1576年 織田信長が安土城築城開始。
 1577年 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)中国地方征伐に出発。
 1580年 石川本願寺が織田信長に降伏。
 1580年 イギリス船が平戸に上陸。
 1582年 「本能寺の変」織田信長が京都本能寺で明智光秀に奇襲され自刃。
 1582年 「山崎の戦い」羽柴秀吉が明智光秀を撃ち破る。
 1583年 「賤ヶ岳の戦い」羽柴軍が柴田軍に勝利。秀吉、大坂城築城開始。
 1584年 「小牧・長久手の戦い」徳川家康が羽柴秀吉を破る。
 1585年 豊臣秀吉、関白に任ぜられる。
 1587年 豊臣秀吉、「バテレン追放令」を出す。
 1588年 豊臣秀吉、「刀狩令」を出す。
 1590年 「小田原攻め」豊臣軍が北条軍に勝利。豊臣秀吉、天下統一達成。
 1592年 伏見城完成。
 1592年 「文禄の役」豊臣秀吉、朝鮮出兵をおこなう。
 1594年 「太閤検地」豊臣秀吉、全国的に検地を実施する。
 1597年 「慶長の役」再び朝鮮出兵をおこなう。
 1598年 豊臣秀吉死去。
 1600年 「関ヶ原の戦い」で東軍(徳川)が西軍(豊臣・石田三成)を破る。
 1603年 徳川家康、征夷大将軍に就任し江戸幕府を開く。
 

「安土」と「桃山」の名前の由来は?

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