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もしかしたら打率4割も…“ドカベン”香川伸行、72日間の首位打者【プロ野球回顧録】

週刊ベースボールONLINE

「波が少ない。自分でも驚きますわ。春の珍事と違いますか」。そう笑ったのが、1983年、プロ4年目の南海・香川伸行だ。春先から打ちまくり、当初は打率4割をキープ。8月半ばまで首位打者に立っていた。

「きっとご期待に応えます」



プロ4年目、1983年の南海・香川

 浪商高時代、投手・牛島和彦(中日入団)とのバッテリーで、甲子園を沸かせた強打の捕手。太めの体形とポジションで「ドカベン」の愛称もあった。80年に南海入団、1年目は初打席初本塁打とド派手なデビューを飾ったが、以後はパッとせず、常に人気先行と言われた。

 香川にプロでやっていくだけの力がなかったわけではない。むしろ、守備はともかく、バッティングに関しては、誰もが「天才的」と称賛していた。ただし、調子の波が大きく、練習嫌い。さらに言えば、年々増える体重で体のキレが鈍っていたことも足を引っ張った。

 その香川がプロ4年目に向け、「今年こそ」と燃えていた。

 大きな要素は、二軍監督だった穴吹義雄の一軍監督昇格だ。自身がファームにいた時期、いろいろ気にかけてアドバイスしてくれた恩師であり、逆に前任のブレイザー監督は、守備や走塁に難のある香川への評価が極端に低かった。

 1983年の年賀状にもこう書いている。

か 監督さんも広瀬、ブレイザー、穴吹と三人目です
が 頑張らなくちゃ! そのつど思ってきましたが、今回が
わ 私の気持ちを一番理解していただけそうです
の のるか、そるか心機一転、勝負をかけてみます
ぶ 無事これ名馬も大事でしょうが
ゆ 悠長な考えは許されません、ガムシャラ野球で
き きっとご期待に応えます よろしく
                南海ホークス 香川伸行

 新打撃コーチ・福田昌久の“押し付けない”指導も香川にはまった。自主トレ、キャンプと例年以上にハードな練習に取り組み、体重も95キロまで絞られた(公称は92キロだが、それはそれとして)。

 表情からも自信が感じられ、「今シーズンはでっかいことをやれそうや。これは僕の予感だけど間違いないで」と話していたこともある。

 実際、春先から打ちまくった。15試合を消化した4月末時点で打率は、なんと.455。門田博光の故障離脱後は四番も打った。4月の月間MVPも手にし、副賞の卵1万個は「食べ過ぎて太ったら困るし」と児童福祉施設にプレゼントしている。

 その後、5月12日に4割台からは落ちたが、31日には首位打者に。「まだ先は長いですし、気にしてません」とは言うが、顔は崩れんばかりにニヤニヤしていた。

やせて打てるなら……



太めながらバットコントロールはシャープ。広角にヒットを打っていた

 ただ、周囲が気にし始めたのが体重。シーズンが始まり、やせる選手は多いが、香川は夏が近付くにつれ、再び太り始め、はっきりとは言わないが、間違いなく100キロを軽く超えていた。それでも記者たちに体重について聞かれると、「やせて打てると決まっていれば、ワイもやせるように努力しますよ。でもそうやないやんか。太っていても打てるんや」と不機嫌そうな顔で答えた。

 もともと気分屋の一面があり、新聞記者からは「あいつはテレビやラジオの取材だと愛想がいいのに、俺たちが行っても気のない返事ばかり。それならいつでもマイクを持って取材に行こうか」などと言われていた。

 しかし初出場で7打数ノーヒットに終わった球宴以降、急失速。5月31日以来、守り続けてきた首位打者の座から8月11日、3打数ノーヒットで陥落した。

「別にずっと打てるもんじゃないし、気にしてへん」

 とは言っていたが、月間打率では8月が.169、9月.125、10月は.000……。8月下旬あたりから慢性的な左手の腱鞘炎に加え、右ヒジ痛もあって戦線離脱。9月10日に復帰はしたが、末に再離脱し、規定打席も足りなくなった。最終的には打率.313、15本塁打、61打点。

 シーズンを終えた香川は、「それにしても、天国も見たし、地獄も味わった。いい経験になりましたわ」と言って、ため息をついた。

写真=BBM

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