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南海の内紛で世界の盗塁王モーリー・ウィルス招へいが消えた?/週べ回顧1972年編

週刊ベースボールONLINE

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

南海の内紛



南海・野村克也監督(右)、左はブレイザー・コーチ


 今回は『1973年1月1・8合併号』。定価は130円。

 きな臭い話が多かったストーブリーグ。インパクトは阪神やロッテだが、一番ややこしかったのは南海の内紛かもしれない。
 閉幕後、南海・岡本伊三美二軍監督が「野村(野村克也)監督と意見が食い違う」と退任。これは元監督・鶴岡一人派と野村の対立の中で生まれた事件だった。

 野村監督、岡本二軍監督はシーズン中から何かと衝突。シーズン後の11月29日、新山球団社長が仲介し、新山、野村、岡本の三者会談を行う予定にしていたが、開始30分前に野村監督が「岡本二軍監督と話し合う必要なし」と電話でキャンセル。激怒した岡本が辞表を出した。

 岡本の捨て台詞も激しい。
「自分の考えだけで軽々しく選手のトレードや人事面も(報道陣に)もらす。富田(富田勝)は巨人に行ったが、広瀬(広瀬叔功)、三浦(三浦清弘)、小池(小池兼司)の放出の話も口にしていた。
チームに功労のあった彼らにとって重大な生活の問題だ。特に三浦の場合なんかひどい。10勝級を手薄なウチがなぜ出さねばならんのだ。しかも太平洋への金銭トレードの額が600万程度と聞いている(まだ本決まりではなかった)。これくらいの額やったらドラフト5位クラスじゃないか。
 南海は野村のためにあるわけじゃない」
 野村監督は鶴岡時代とは違ったチームへの変革を考えていたが、それはベテラン、つまり鶴岡派にすれば粛清を意味し、どうしても野村監督の言動に対し、疑心暗鬼になる。

 野村監督の球団内の立場も実は微妙で、川勝オーナーの信頼は得ていたが、新山社長をはじめとするフロントとはうまく行っていなかった。
 希望する補強をなかなかやってもらえず、かなりイライラした時期もあったようだ。
 72年閉幕後には一度、辞意をほのめかすが、これはいわば賭けだ。そのまま辞めるか、あるいは慰留のための条件を引き出せるか。
 野村監督は、この賭けに勝ち、自身の強化方針への全面支援の約束を得て、留任を決めた。

 岡本、広瀬らは元監督・鶴岡派でもあった。実は、鶴岡元監督は、新山社長らと対立し、チームを離れたのだが、こうなるとおかしなもので、鶴岡派と、野村監督に押し切られ、反感を持った新山社長らフロントが接近し始めていたという話もある。
 何年か先の火種は十分あったわけだ。
 
 このオフ、野村監督が補強の目玉として自ら動いていたのが、引退濃厚だったドジャースのM・ウィルスのコーチ兼任での招へいだった。スカウト役は帰米中のブレイザー・コーチ。ウィルスも一時は南海入りに傾きかけたという。
 しかし、これに新山社長が難色を示した。
「コーチ専門ならね。選手と一人二役では高い買い物になるんじゃないかね」
 野村監督が、
「ウィルスと阪急・福本(福本豊)で対抗させれば大阪球場のファンが増えます」
 と力説したが、
「もう(年齢的に)下り坂だし、うちには広瀬もいるだろ」
 といい顔をせず。結局、話は立ち消えとなった。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

写真=BBM

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