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17世紀に亡くなった高位聖職者の棺の中で見つかった胎児のミイラの謎(スウェーデン)

カラパイア

司教の棺の中で見つかった胎児のミイラの謎
photo by Pixabay

 数年前、プロテスタントのビショップ(高位聖職者:監督)であるペダー・ウィンスロップの棺を調べていたところ、麻布に包まれた死産の胎児が司教の足元に置かれているいるのが発見された。

 ペダー・ウィンスロップは、神と科学の両方に精通した人物で、現在のスウェーデン南部の都市ルンドのために尽力した実践的な政治家でもあった。

 17世紀に亡くなり、棺の中でミイラ化した彼の遺体からは様々な発見がなされた。更に彼がまとっている屍衣の下にある謎が隠されていたのだ。

17世紀に亡くなりミイラとなった高位聖職者の棺を調査

「当時先駆的だったウィンスロップは、今でも現代社会に貢献してくれているといっても過言ではありません」ルンド大学歴史博物館の館長、パー・カルステンは言う。

「彼の棺の中は、17世紀の小さな宇宙です。深い敬意をもって、ユニークな医療アーカイブとも言えます。現代を生きているわたしたちが何度も立ち戻って新たな問いを投げかければ、彼がそれに答えてくれるのです」

 2012年、ルンド大聖堂の関係者が、地下の霊廟からウィンスロップの遺体を移動させることに決めたとき、カルステンらは、棺の中をCTスキャンやレントゲンで分析することができた。

 ウインスロップは、レモンバーム、ヤナギハッカ、ビャクシンなどのハーブを敷き詰めた上に安置されていたため、腐敗を免れた可能性がある。

 おそらく遺体は葬儀前の数週間、風通しのいい低温の環境に置かれていたせいか、自然にミイラ化していた。

 棺の中の遺体、植物の材質、残っている織物が、17世紀の食生活や、結核などの病気、現代では稀だが当時のスウェーデンでは一般的だった昆虫などについて、これまでにないほど細かい洞察を研究者に与えてくれた。

 棺の中には、スウェーデンで最古のトコジラミなど、50種近くの無脊椎動物が存在していたのだ。
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動乱の17世紀、ルンドのビショップだったペダー・ウィンスロップの遺体は自然にミイラ化した。ハーブを敷き詰めた上に安置されていたこともその要因と思われる。(image credit:Gunnar Menander

棺の中に胎児のミイラを発見、孫である可能性

 しかし、ほかにも最大の謎がウィンスロップと共に眠っていた。ウィンスロップの屍衣の下、下腿の間に5、6ヶ月の胎児のミイラが埋もれていたのだ。

 研究者たちは長いこと、この死産の胎児はウィンスロップの家の使用人の子どもか、葬儀屋の子どもではないかと考えていた。

 DNA分析をしたところ、この子供はウィンスロップ自身の血縁だということがわかり、彼の孫である可能性が高いことが判明した。

「このふたりに血縁があるとは思っていませんでした」ストックホルム古遺伝学研究所の生物学者で、『
ウィンスロップの棺の足元に置かれていた麻布に包まれた死産の胎児
(image credit:
Gunnar Menander
 カルステンは言う。「この結果はあらゆる意味ですばらしい。私が間違っていたからなおさらです。科学がこのように役立ってくれることが本当に嬉しい。ひとつの仮説があっても、新しい分析によって、その考えが間違っていることがわかれば、別の道を考えなくてはならないからです」

 2015年時点では、カルステンはこの胎児は、ウィンスロップ家の流産を経験した使用人が隠したと仮定していた。

 ウィンスロップは、死の前の2年間、健康を損ねて寝たきりだった。使用人が悲しみの中、彼の遺体を保存し、尊敬するビショップが死後の世界でも子どもを導いてくれることを期待して、ふたりを一緒に棺に入れたのではと考えたのだ。

「死産だった胎児の遺体を棺に忍ばせることで、子供が神の加護を受けていない、万全ではないということを表わしたわけです。聖職者のそばに安置する、つまり、このように洗礼を受けていない子どもの魂が神の右側(全能性の隠喩)にいられるよう最良のチャンスを与えたのは、極めて人間的な行為といえます」カルステンは言う。

誰が死産の胎児を入れたのか?

 死産のこの胎児は、ウィンスロップの孫である可能性が高いということはわかったが、それだけでは謎がすべて解決したとはいえない。

 いったい誰が、胎児の遺体を入れたのか? 歴史家が知っているウィンスロップの生涯や遺したもののこと、そして彼の死後、家が崩壊したことを考えると、文化的な伝統や、親の悲しみというものが答えの一部なのかもしれない。

 彼の足跡は、1000年近くもの間、この町を見守り続けてきたロマネスク様式の大聖堂の立派な塔の影から始まる。
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少なくとも12世紀にさかのぼるルンド大聖堂。北欧でもっともすぐれたロマネスク建築のひとつと考えられている(image credit:Colin/Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

都市の繁栄を企てたウィンスロップ

 大聖堂の建築が始まった12世紀、ルンドの町はデンマークの一部だった。ウィンスロップ自身は、コペンハーゲンで生まれ、17世紀半ばまで生きた。

 1658年にスウェーデンの支配に変わったときは、彼はすでにスコーネ県の都市ルンドのビショップ(監督)で、そうした機を利用するのを逃さなかった。
ウィンスロップは、非常に実践的、思考力のある人物でした。”さあ、今はもうスウェーデン人なのだから、どうやって利益を得ようか?”と考えたのです。

ルンドに大学を設立して、デンマーク人だろうが、スウェーデン人だろうが、都市そのものを繁栄させるようにしたらどうだろう?と。

彼は、自分自身の利益のため、町のために最善をつくそうとした非常に実践的な政治家の手本だと思います(パー・カルステン)
 保守的で独断的であるにもかかわらず、このプロテスタントのビショップは、自然科学に並々ならぬ関心を抱いていた。

 設立に協力した大学の学長として、医学部も設置するよう働きかけて成功した。
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ペダー・ウィンスロップの肖像。作者、年代不詳(image credit:Orf3us/CC BY-SA 3.0

ウィンスロップの遺体からその晩年が明らかに

 ウィンスロップの遺体を詳しく調べ、彼の晩年の様子をまとめることができた。結核、胆石、心臓病、かなりの数の歯の喪失などに苦しみ、ついに1679年12月に肺炎で亡くなった。翌1月、埋葬前のある時点で、誰かが彼の棺の中に胎児の遺体を隠したと思われる。

 なぜ、誰が、胎児を一緒に埋葬したのか、論文を発表した生物学者のクゼヴィンスカは自分の考えを語らなかったが、今回の結果は、スウェーデンにおける成人と子どもの共有墓を古代のDNAに基づいて分析した最初の例にすぎないとしている。

「成人と子どもが一緒に埋葬される例は、中世のスカンディナビアではごく一般的なことですが、その理由はわかっていません。わたしは成人と子どもの間にどういう関係があったのかに着目しています。これまではツールがなかったので、誰もそのような観点からは見ませんでした」
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ウィンスロップの棺の中にあった胎児のCTスキャン画像(image credit:Gunnar Menander
 古代のDNAを抽出しても、死産の胎児を棺に入れた人物が誰だかはわからない。カルステンは、その人物は子供を失った悲しみにくれた母親ドロテア・スパーレではないかと考えている。

 彼女は司教の死の1年か2年前に、司教の息子であるペダー・ペダーセン・ウィンスロップ司教と結婚していた。

 だが、息子は父親である司教を失望させたようだ。「彼はギャンブラーで、聖書にはまったく関心がなかったので、それは、年老いた司教にとって大きな悲しみだったことでしょう」カルステンは言う。

 ほかの子どもがいたという記録はなく、司教の死から数ヶ月で、息子は財産を失った。スウェーデン王室がこれまで貴族に与えていた土地や屋敷を取り返したためだ。

 ドロテアと司教の息子は、完全に文無しになってしまい、たちまち没落した。ふたりの最期については知られていない。

 ウィンスロップの遺体は、将来の科学者のために保存しておくため、新しい金属の棺に入れ替えられた。

 現在、この司教の棺は、大聖堂内の中世に作られた巨大で音のうるさい天文時計の背後にひっそりと移されてしまい、カルステンは嘆いている。「高位聖職者が最後に眠る場所としては、騒がしくてふさわしくない場所だからです」

 ウインスロップの孫息子と思われる胎児の遺体は、ウインスロップの最後の遺産ということになるのだろうか?

 「もちろん、今でも胎児はウインスロップと一緒に埋葬されています。彼らは血がつながっているのですから」

References:Foetus in bishop’s coffin was probably his grandson/ written by konohazuku / edited by parumo

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