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シーズン打率1割台も日本Sの劇弾で逆転残留! 「とにかくマジメ」“不屈の男”巨人・ボウカー/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

週刊ベースボールONLINE

「ライアルの100倍」の期待感



2012年に来日して巨人の一員となったボウカー

「初めて私服のライアルと会ったとき、『ダメかもしれない』と直感した」

 元巨人国際部参与の中島国章氏は自著『プロ野球 最強の助っ人論』(講談社現代新書)の中で、2011年に巨人でプレーしたラスティ・ライアルの第一印象をそう回想している。実際に話してみると神経質そのもので、性格的に難しそう。口では期待していますと伝えたが、すでに内心は「無理かも」と思ったという。

 その悪い予感は悲しいくらい的中して、ライアルは日本野球に適応できず同僚のアレックス・ラミレスの助言もことごとく無視。打率1割台と低迷し、最後は神宮球場で三振に倒れると、直後にクラブハウスへ帰ってしまう「三振バックレ事件」を起こし、姿を消した。なお、同年に巨人が獲得したブライアン・バニスターは開幕前の東日本大震災直後に無断帰国。再来日の要請にも応じることはなく、他リーグへ移籍できない“制限選手”となり、こちらはナチュラルなバックレをかまして、日本で1試合も投げることなく現役を引退している。

 そんなNPB他球団からの移籍組以外は、壊滅的な失敗を繰り返していた巨人外国人選手事情だったが、12年に救世主を期待される男が来日する。ジョン・ボウカーである。メジャー時代はジャイアンツで球団史上初のデビュー2試合連続アーチを放った28歳の筋肉マンは、3Aでは3年連続の打率3割を残していた。当時の『週刊ベースボール』新外国人選手カタログ2012では、「左のマートンになれる!?」とアベレージも長打力も「A」判定と好意的に紹介されている。

「とにかく日本向きの打撃をする。特筆すべきは落ちる球への対応の柔軟さだろう。何が何でもホームランというタイプではなく、必要とあらば巧みに流し打つなど、マートン(阪神)ばりにアベレージを残せそうなスプレーヒッターだ」

 初めての宮崎キャンプでは、日本式練習の厳しさに泣きを入れるどころか、休日返上で汗を流し「休みはないよ。毎日トレーニングだよ」と爽やかに笑ってみせた。オープン戦では3割近い打率と2本塁打を放ち、開幕直前の週べ「12球団戦力分析」でも巨人の打のキーマンに指名。記事では「昨年のライアルと比較すると、現時点で100倍の期待感がある。新外国人の獲得では失敗が続き、V逸の1つの要因でもあったが、久々に大当たりの予感が漂っている」なんて絶賛している。渾身の「ライアルの100倍」ぶっこみ。ついに今度こそ大当たりがきた。原辰徳監督もマスコミもファンも、誰もがそう思った。

シーズンは不振で苦しんだが……


 しかし、だ。ボウカーは開幕から「二番・左翼」でスタメン出場するも、このシーズンの巨人は序盤に大きくつまずく。なにせ『週刊ベースボール』12年4月23日号の表紙には「開幕ダッシュ大失敗G“包囲網”発令中」の見出しが確認できる。「勝てない、打てない、守れない、開幕逆ダッシュで記録的大コケ巨人巨大戦力は見せかけか?」というかなり辛辣な検証ページでは、「開幕8試合で5度の完封負けはプロ野球初の屈辱」「史上最強打線は大ウソ? まさかの9試合本塁打ゼロ」という歴史的貧打が報じられている。

 その後、チームは復調して首位争いに顔を出すが、背番号36は打撃不振に苦しむ。開幕直後は27打席連続無安打で打率はわずか3分7厘にまで落ち込んだ。待望の初アーチは5月8日のDeNA戦(宇都宮)。自身95打席目、出場30試合目の巨人助っ人では歴代2位の遅い1号だった。その後も覚醒とはならなかったが、二軍降格してもまったく腐ることはなく、電車を乗り継ぎジャイアンツ球場通いする元メジャー・リーガー。ボウカーは周囲の若手選手に負けじと熱心に練習に励んだ。

 背番号36にとっての追い風は、12年中盤以降の巨人が圧倒的な強さを見せていたことだろう。最強キャッチャー阿部慎之助はこの年に首位打者と打点王を獲得する絶頂期で、若手の長野久義と坂本勇人は最多安打のタイトルを分け合った。村田修一はリーグ最多の15死球を食らいながら16本の芸術的ゲッツーを放ち……というのは置いといて、投手陣は内海哲也と杉内俊哉のダブルエース体制。夏前には独走でのペナント制覇が確実視される余裕ある状況だったため、そこまでボウカーに対するシビアな批判もなかった。

 趣味は筋トレ。のちにスポーツ報知の公募で決まった愛称は“ポパイ”だが、ヘルシーな寿司と大のサツマイモ好きだ。オールスター休みにはマシソンの家族と沖縄旅行へ出かけるほど仲が良く、マシソンの顔が大相撲の把瑠都にクリソツというどうしようもないジョークがお気に入りだった。日本語を教わっているというモデルの彼女とのツーショットが話題になったこともある。しかし結局、ボウカーの1年目は打率.196、3本塁打、10打点。「どの国にもいろんな文化があって、日本に来てとても興味深かったし、新しい発見をたくさんした1年だったよ」なんて平和なコメントを残したが、年俸6000万円分の働きはまったくできなかった。普通ならどう考えても解雇だ。だが、ここで男はひとつの奇跡を起こす。


CSの試合前セレモニー中、ひたすら素振りを繰り返しているボウカー(撮影・中溝康隆)

 中日と戦ったクライマックスシリーズで、今でも忘れられない光景がある。東京ドームで試合前セレモニーが行われている最中、一塁側の巨人ベンチ前で一心不乱に素振りを繰り返している選手がいた。思わず、三塁側内野席から双眼鏡でその様子を確認すると、顔を真っ赤にしてバットを振るジョン・ボウカーがいた。テレビカメラにも映らず、スコアブックにも残らない、ベンチ前のクレイジーなたったひとりの素振り。その孤独な素振りが実を結ぶのは1週間後の日本シリーズである。

日本シリーズで2本塁打


 10月27日東京ドーム、日本ハムとの日本シリーズ初戦に、原監督はなんと「八番・一塁」でシーズン打率1割台の助っ人を起用する。しかも相手先発はMVP左腕の吉川光夫だ。CSでは打率5割を残していたが、スタメン発表時は客席から軽い笑いが起きたのも事実だ。無謀でしかない。だが、生きる上で無謀はときに希望になる。4回裏、背番号36は初球の内角高めのスライダーをライトスタンド中段へ叩き込む。来日以来最高の当たりの3ランホームランだ。目の前の想定外の出来事に爆発的な大歓声に包まれる場内。ちょっと照れ笑いを浮かべながらホームインするボウカー。この意外性の一発でシリーズの主導権は巨人が握った。


12年の日本シリーズで優秀選手賞に輝いた(左から稲葉篤紀、長野、内海、ボウカー、阿部)

 その後、第5戦の札幌ドームでも吉川から先制2ランを放ったボウカーは、シリーズ通算3安打中2本が本塁打という活躍で優秀選手賞に選ばれる。MVPの内海、優秀選手賞の阿部と長野、そしてボウカーが並ぶ表彰式の記念写真は、史上初の五冠達成を成し遂げた12年原巨人のひとつのハイライトだ。この日本一の立役者に球団も契約延長オファーという最高の形で応える。大舞台でかっ飛ばした2発の劇弾で人生を変え、まさかの大逆転残留である。

 13年は50パーセントダウンの年俸3000万円を潔く受け入れ、背番号42へと変更。長い原巨人の歴史でも最強と称されるこの時期、ボウカーと同い年のホセ・ロペスが七番と八番に並ぶ下位打線は相手の脅威となる。4月25日のDeNA戦(岐阜)で小指骨折をして離脱するが、それまで打率.296、6本塁打、21打点の好成績。復帰後は第78代四番打者も経験するなど、103試合で打率.262、14本塁打、46打点で2年目シーズンを終えた。だが、奇跡はもう起こらなかった。楽天に3勝4敗で惜敗した日本シリーズでは、11打数1安打の打率.091に終わり、その年限りで退団。翌14年はシーズン途中に楽天へ加入して、交流戦の巨人戦で恩返し弾を放つも、7本塁打と満足な成績は残せず1年で帰国した。

 それでも、楽天時代の鈴木康友コーチが「とにかくマジメ。ホームでも遠征でも、どこに行っても毎日ジムに行ってウエート・トレーニングしている」と感心する人柄は健在だったようで、カリフォルニア生まれの日本を愛する不屈の男はなんと三度戻ってくる。16年からは、NPB復帰を目指し、BCリーグの福島ホープスで3シーズンに渡りプレーしたのである。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM

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