「ガンダム」シリーズの重要なテーマとなる「親殺し」

 アムロとシャアがぶつかり合い、また多くの人命が失われた地球連邦とジオンとの抗争が終わっても、人類の革新は果たせなかった世界が『機動戦士ガンダムF91』では描かれています。地球連邦政府における官僚主義はますます増長し、地球は一部のエリートのみが暮らすことを許された聖域となり、民間人はスペースコロニーへと追いやられている状況です。

 鉄仮面ことカロッゾ・ロナたちは、「コスモ貴族主義」を掲げ、地球連邦に反旗を翻したわけです。この「コスモ貴族主義」は、高貴な精神を持つ者が世界を治めるべきだという考え方です。大衆からの支持を得るために、ルックスに恵まれたセシリーが次期女王として祭り上げられます。「選民思想」で国威発揚を促した「ジオン公国」のザビ家と、大して違いがないように思います。

 結局のところ、いくら歴史を重ねても、人類には本当の意味での民主主義が根付くことはなかったようです。富野監督の現代社会に対する風刺的視線を感じさせます。

 これまでの「ガンダム」シリーズと同じように、『F91』でも家族間の葛藤、親殺しが重要なテーマとなっています。ヒロインであるセシリーは、実の父・カロッゾの考えに同意できないまま、女王になることを強要されます。新しいガンダム「F91」に乗るシーブックも、「仕事が面白いから」という理由で家を出ていった母・モニカには複雑な感情を抱いています。

 宇宙世紀が進み、科学が発達しても、人間の根本的な悩みはあまり変わらないようです。

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富野監督が背負う「ガンダムの呪縛」

 主人公たちが苦悩しながら闘う姿は、富野監督自身が抱えていた問題を投影していると言っていいでしょう。『機動戦士ガンダム』劇場版三部作(1981年~82年)を成功させ、アニメの視聴層を大人にまで広げた富野監督は、間違いなく日本のアニメ文化の大功労者です。

 富野監督は『伝説巨神イデオン』(テレビ東京系)や『戦闘メカ ザブングル』(テレビ朝日系)など「ガンダム」以外の人気作も放っていますが、『機動戦士ガンダム』があまりにも大ヒットしたために、次第に「ガンダム」と名前の付く作品しか作ることができなくなってしまいます。

 ガンダムの制作会社「サンライズ」にいる限り、富野監督は生活に困ることはありませんが、ガンダム以外の作品は作ることが許されないというジレンマに陥ってしまったのです。富野監督は著書『ターンエーの癒し』(角川春樹事務所)のなかで、1993年~94年に放映された『機動戦士Vガンダム』(テレビ朝日系)を終えてから、【はげしい眩暈(めまい)と耳鳴りに悩まされるようになった】【鬱(うつ)病気味にもなりはじめた】と打ち明けています。

 巨大ロボットもの以外のジャンルや実写ドラマへの意欲を持っていた富野監督は、この時期かなりのストレスを感じていたようです。

 絶対的な力を持つ鉄仮面に逆らったため、セシリーは宇宙空間へと投げ出されてしまいます。真っ暗な宇宙空間を孤独に漂うセシリーは、富野監督自身だったのかもしれません。そんなセシリーに寄り添うように、森口博子さんが歌う「ETERNAL WIND」が優しく流れます。

「見知らぬ力に流されて 心がどこかへはぐれてく
 はりさけそうな胸の奥で 鼓動だけが たしかに生きている」

 未完に終わった『機動戦士ガンダムF91』ですが、家族のことで悩んでいる、あるいは自分の居場所を見つけられずにいる人たちにとっては、今も忘れらない作品ではないでしょうか。