もうひとりの巨匠・高畑勲の作品も「封印」状態

 ジブリの長編アニメで、地上波テレビではほとんど放映されていない作品は他にもあります。高畑監督の『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)です。劇場公開された翌年に一度だけ「金曜ロードショー」で放映されましたが、視聴率9.9%と奮わず、その後は地上波では放映されていません。

 高畑監督作は『火垂るの墓』(1988年)が13回、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)が9回、『おもひでぽろぽろ』(1991年)が8回放送されているのに比べ、極端に露出の少ない作品です。

 興収結果と視聴率が思わしくなかったことに加え、原作マンガ『ののちゃん』が朝日新聞連載であることも要因だと思われます。読売新聞を中心にした読売グループである日本テレビでは、積極的にはオンエアしにくいようです。『アルプスの少女ハイジ』(フジテレビ系)など、日常生活を丁寧に描く高畑監督の円熟作だけに、地上波放映が一度きりというのは寂しいものがあります。

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『耳をすませば』を酷評され、宮崎駿が激怒

 話を『海がきこえる』に戻します。『海がきこえる』の地上波放映が少ない理由は、いくつかあるようです。未成年である主人公たちが酒を呑むシーンが2度にわたってあり、どちらもカットできない重要な場面です。コンプライアンス的に好ましくないのでしょう。また、本編時間が73分のため、2時間枠の「金ロー」では放映しづらいというのもあるようです。

 しかし、それだけが理由ではないように感じます。

 高知にある私立高校を舞台にした『海がきこえる』のヒロイン・武藤里伽子のキャラクターが、それまでのジブリ作品のヒロイン像と異なり過ぎたことも少なからず関係しているように思えるのです。

 東京から転校してきた里伽子は美人で成績もよく、テニスもうまく、たちまち学校中の注目を集めます。しかし、性格はわがままで、主人公・杜崎拓をさんざん振り回します。宮崎監督が描いてきたナウシカのような「理想の女性」像とは、真逆とも言える「リアルな女性」像だったのです。

「私、生理の初日が重いの」と男性主人公に面と向かって口にするヒロインは、宮崎アニメでは考えられない存在です。

 氷室冴子さんの原作小説『海がきこえる』の文庫版の解説によると、社会学者の宮台真司氏は『耳をすませば』(1995年)の完成直後の宮崎監督と対談し、【『海がきこえる』のほうがずっと面白い、『耳をすませば』に感激するのは、小学生低学年以下とジジババだけではないか】と言ったところ、宮崎監督は激怒したそうです。

 近藤喜文氏の監督デビュー作となった『耳をすませば』は、『海がきこえる』を観た直後の宮崎監督が、自身が考える恋愛青春ものとして脚本を書き、プロデュースしています。いわば、『海がきこえる』のアンチテーゼとして制作された作品です。宮台氏の発言は、受け入れ難いものがあったのでしょう。

 歴史には「たら」と「れば」は禁物だと言われています。でも、ついつい考えてしまいます。もしも宮崎監督が「里伽子」というヒロインを認めていたら、もしも若手スタッフの演出スタイルを受け入れ、その後も新作を撮らせていれば……。スタジオジブリの歴史は、大きく変わっていたのかもしれません。