『となりのトトロ』公開時ポスタービジュアル (C)1988 Studio Ghibli
【画像】ジブリのリメイクではない? あまりヒットしなかった同じ原作の実写映画(4枚)
「興行的に最悪でした」という作品は?
スタジオジブリの宮崎駿監督による最新作『君たちはどう生きるか』が、2023年7月14日の公開から4日間で興行収入21.4億円を突破したというニュースが報じられました。これは日本歴代興収2位である『千と千尋の神隠し』の、初動4日間の成績を超える記録とのことです。
まったく宣伝をしないという異例の戦略がとられた同作ですが、これだけの動員があったということは、何本も大ヒット作を送り出してきた宮崎監督と、スタジオジブリへの期待感の高さの表れだと言っていいでしょう。それはすなわち、スタジオジブリの「ブランド力」と言い換えることができます。
ただ、スタジオジブリが制作したアニメ映画は、すべてがヒットしているわけではありません。今では名作と語り継がれている作品も、公開当時は興行成績の不振が続きました。高い評価を受け、長い間多くの人に愛されてきた名作の数々も、当時は客入りに苦しんでいたのです。
スタジオジブリは『風の谷のナウシカ』の制作拠点となったトップクラフトがアニメ制作を中断していたため、新作の『天空の城ラピュタ』を制作するにあたって新たな拠点が必要となった宮崎監督、高畑勲監督、鈴木敏夫氏(当時は徳間書店に在籍)らによって、1985年に設立されました。
その後、宮崎監督の『天空の城ラピュタ』は86年に劇場公開されましたが、観客動員数は77万人、配給収入(興行収入から映画館側の取り分を差し引いた額。興行収入のおよそ50%)は5.83億円にとどまります。これは同年の1位だった『子猫物語』の54億円はおろか、9位だった『ドラえもん のび太と鉄人兵団』の13億円にも遠く及ばない成績です。前作『風の谷のナウシカ』の7.4億円も下回りました。
このときのスタジオジブリは社員スタッフを抱えておらず、「終わったら解散」という体制だったため、興行成績が問題になることはありませんでした。鈴木氏は「トントンになればいいんだろう」と考えていたそうです。(『風に吹かれてI スタジオジブリへの道』中公文庫)
その次の作品は、88年に公開された宮崎監督の『となりのトトロ』と、高畑監督の『火垂るの墓』の2本立てです。配給収入は2本合わせて5.88億円でした。9位だった『ドラえもん のび太のパラレル西遊記』(13.6億円)の半分以下、前作の『ラピュタ』と比べるとほぼ横ばいです。とはいえ、2本の長編映画を制作したわけですから、前作と同じ興行成績でいいわけがありません。鈴木敏夫氏は「興行的には最悪でした」「まったく当たらなかった」と振り返っています。
とはいえ、スタッフ間では気落ちした雰囲気はなかったといいます。また、ジブリを支援していた徳間書店の徳間康快会長が不入りを気にせず、宮崎監督、高畑監督を「よく頑張ってくれた」と励ましてくれたため、次の『魔女の宅急便』の制作にとりかかることができたそうです。(引用同上)
『魔女の宅急便』DVD(ウォルト・ディズニー・ジャパン)
(広告の後にも続きます)
鈴木敏夫プロデューサーを発奮させた言葉
そしてスタジオジブリの転機になったのが、89年に公開された宮崎監督の『魔女の宅急便』です。配給収入21.7億円はこの年の邦画1位、洋画を含めても『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』『レインマン』に次ぐ3位という大ヒットとなりました。これは当時のアニメ映画としては、過去最高の記録です(『宮崎駿全書』フィルムアート社)。
『魔女の宅急便』大ヒットの要因となったのは、宣伝展開にこれまで以上に力を入れたことにあります。鈴木氏(同作ではプロデューサー補佐)は日本テレビに協力を要請し、映画への出資を取り付けるとともに、同局の多くの番組で取り上げてもらうことに成功しました。『魔女の宅急便』以降、スタジオジブリと日本テレビは深い結びつきを持つようになります。
鈴木氏が発奮したのには、理由がありました。配給を行う東映の担当者に「宮崎さんもたぶんこの〈魔女〉が最後だろう。だってそうに決まってるじゃん。〈ナウシカ〉〈ラピュタ〉〈トトロ〉とやってきて数字がだんだん下がってきた。そうしたら〈魔女〉はもっと下がるだろう。そうしたらそれで終わりだよ」と言われて腹を立てたからです(『風に吹かれて I』)。
結果的に『魔女の宅急便』は大ヒットします。スタジオジブリは「1本ごとに解散」という方針を大きく転換し、多くの社員スタッフを抱えることになりました。
ここから91年の高畑監督『おもひでぽろぽろ』は配給収入18.7億円、92年の宮崎監督『紅の豚』は配給収入28億円、94年の高畑監督『平成狸合戦ぽんぽこ』は配給収入26.3億円、95年の近藤喜文監督『耳をすませば』は配給収入18.5億円と、スタジオジブリの作品はすべてその年の邦画ナンバーワンヒットを記録します。そして97年の宮崎監督『もののけ姫』は、配給収入117.6億円で当時の歴代日本映画1位という特大ヒットとなりました。いずれも、作品の力と宣伝が噛み合った結果でしょう。
スタジオジブリが多くの名作を生み出す原動力になったのは、ひょっとしたら『魔女の宅急便』のときに発せられた配給担当者の一言だったのかもしれません。