『行け! 稲中卓球部』第1巻(講談社漫画文庫)

【画像】真逆のシリアス路線も…『稲中』作者・古谷実先生の名作マンガたち(4枚)

『稲中』は今読んでも面白く、今読んでも「最低」な傑作

 言わずと知れた『行け!稲中卓球部』(著:古谷実)。1993年~1996年と3年ほどの連載にも関わらず、単なるギャグマンガとしてだけではなく、青春の聖典(バイブル)として本作を挙げる人も多いのではないでしょうか。実際、本作の影響は海を越え、映画『パラサイト 半地下の家族』のポン・ジュノ監督は『稲中』に深く感銘を受けたひとりです。

 さてそう聞くと知性的でウイットに富んだギャグマンガのように思えますが、例えば筆者の手元にある第3巻の作者コメントを引用すると……

「ケツの穴までしみわたる、クソバカ、オゲレツ、ドゥーン!男子の味方、女子の敵、稲中卓球部六人衆、今日も行く!」

 そうです。『稲中』は知性やらウイットといったものをかなぐり捨てて全裸で駆ける、日本最高峰の変態ゲスマンガに他ならないのです。とはいえ、すでに30年以上前の作品であり、年号も平成から令和に変わった現在において、新規の読者が多少困惑するかもしれぬ表現があることも事実。一時期、「誰も傷つけない笑い」というワードが流行しましたが、その観点で言えば『稲中』のギャグはアウトでしょう。具体的な例をあげつつ、ではなぜ今もなお「聖典」とされているのか。令和の今こそ『稲中』と真正面より向き合い探ります。

カースト最下位の中二男子の捻じ曲がった「性春」

『稲中』の背骨は下ネタであることは間違いありません。基本的に前野、井沢、田中はことあるごとに全裸になりますし、その場で大便を漏らすこともしばしば。「コロコロコミック」よりもはるかに幼稚な下ネタが狂い咲きます。それでいて中学二年生という設定には忠実で局部にはうっすらと陰毛が生えている始末。

 ここまでは今もまだ許容範囲かもしれませんが、前野と井沢がタッグを組んだ瞬間、「一発アウト」なことを平気で行います。「ラブコメ死ね死ね団」を結成し幸せそうなカップルに暴力を振るったり、健康診断を担当する医師と助手になりすまし全校女子生徒の胸を見たりとやりたい放題です。田中もまた、学校中の「覗き」スポットを把握していたり、盗んだ部費でバターを買って全身に塗り、野良犬に舐めさせたり、1年かけて「オナラ」をゴミ袋に貯めたり、変態ソロプレイが目立ちます。

 無機質に文字起こしすると、全く「法律」がある世界とは思えない悪の所業を奴らは繰り返してきました。

完全にタブーとなりつつある「容姿いじり」「体臭いじり」のオンパレード

 さらに『稲中』は今やすっかり「笑い」とは縁遠くなった「容姿いじり」の見本市です。「ブス(ブ男)いじり」は毎話のごとく登場。ブスやブ男は「遠慮して生きていこう」という前野と井沢の悲しすぎる信条に則り、遠慮せずに生きているブス、ブ男を糾弾。さらに当時からしてデリケートな問題であったはずの「体臭いじり」も、ド派手にかましてきます。強烈なワキガである田辺に対しても平気で「臭い!」と言い放ちます。無論、井沢も前野も田中もカースト底辺の「ゲス」野郎であり、常日頃より世間に罵倒され続けているので、情状酌量の余地はあるにはあります。それにしても、かつて主流だった「いじりギャグ」が現在では歓迎されていない点は特筆すべき点でしょう。

 創作物にもやんわりと「品行方正」が求められつつある今でもなお『稲中』は新規ファンを増やしているのはなぜでしょうか。考えられる点として、まず「下ネタ云々以前にギャグがそもそも面白い」という点。なかなかこの側面に光が当たらないのですが『稲中』は「ワード」で笑わせるギャグです。ビジュアルインパクトと同じくらい、古谷実のワードセンスは抜群。有名な「サメの話 しようぜ」といったパンチラインが隙間なく続きます。読者はみな各々の『稲中語録集』を知らぬ間に頭の中でリスト化しているものです。

 もうひとつは「ゲス」を「ゲス」として真正面から描いた点。『稲中』を「思春期特有のリビドーをギャグに昇華」と評したり立川談志の落語観を援用し「業の肯定」として捉えたりすることも可能でしょう。しかし、私見ながら『稲中』は「クソバカ、オゲレツ、ドゥーン!」なやつらを「クソバカ、オゲレツ、ドゥーン!」として美化も肯定もせずに描いた作品です。本作を「最低」と罵るのは全くもって「正しい」のです。「語録」の作りやすさ、そして「最低のゲス」を直視することで生じる救済。「聖典」になり得た理由はこの辺りにもありそうです。