“鬼滅ロス”の声が出るほど人々を熱狂させたアニメ『鬼滅の刃 遊郭編』。作中では印象深い名言がいくつも飛び出しました。本記事では特に印象に残った宇髄天元や竈門炭治郎のセリフを振り返ります。
続編である刀鍛冶の里編も放送が決定し、この先も『鬼滅の刃』人気で引き続き盛り上がる日々が続きそうですね。
数々の名言を生み出した『鬼滅の刃』ですが、『遊郭編』にも胸を打つ言葉が多々あったかと思います。
多くのファンを魅了したあのキャラのギャップが垣間見えたセリフや、本エピソードのテーマを総括するあのキャラのセリフなど、遊郭編という物語の魅力が存分に凝縮された名言を振り返りましょう。
選ばれなかった人々の物語…音柱・宇髄のギャップ
「俺に才能なんてもんがあるように見えるか?
俺程度でそう見えるならテメェの人生幸せだな」
「俺が選ばれてる? ふざけんじゃねえ
俺の手のひらから今までどれだけの命が零れたと思ってるんだ」
(『鬼滅の刃』10巻より引用)
人であった頃から遊郭最下層の街で、虐げられながら生きてきた妓夫太郎。
そんな彼が相対した宇髄を酷く妬んだセリフに、宇髄が返した言葉が上記のセリフです。
さらに炭治郎たちへの不遜な態度からも、彼の事をやや傲慢な自信家だと思っていた人もきっと多かったはず。
そんな彼がこのセリフで垣間見せた、思わぬ一面であり彼のコンプレックス。そのギャップに、宇髄のイメージが180度変わった!という人もいたことでしょう。
妓夫太郎に相対した際に彼が発したセリフは、これまでに救うことができなかった多くの命への後悔や、自責の念が強く感じられます。
彼もまた、これまで鬼殺隊として、音柱として長年鬼殺の道を歩む中でそんな思いを幾度となく抱えた「ただの人間」の一人であることがうかがえるセリフです。
上弦の参と相対し、何一つできないままに目の前で炎柱・煉獄という大きな存在を喪った主人公・炭治郎。
彼が通った道は宇髄を始め、きっと鬼殺隊に携わる人々が必ずと言っていい程に通ってきた道であろうこともうかがえます。
けれどその中でそれでも鬼殺隊の隊士として、何より大事な人を守るために。諦めることなく己を鼓舞し、鍛錬に励み、何度も何度も悔しい思いをしてなお、刃を振るい続ける。
それは到底簡単な道のりではありませんが、そうやって歩み続けることのできた宇髄や炭治郎だったからこそ。
彼らは上弦の鬼と、今回こそ対等に渡り合うことができ、あの激闘を終えてなお生還する未来を掴むことができたのかもしれません。
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様々な「似た者同士」と「正反対」を描く遊郭編
「その境遇はいつだって ひとつ違えばいつか自分自身がそうなっていたかもしれない状況
もし俺が鬼に堕ちたとしても 必ず
鬼殺隊の誰かが 俺の頚を切ってくれるはず」
(『鬼滅の刃』11巻より引用)
様々な人物や情景の対比性、そして類似性のもとに展開された遊郭編というエピソード。
その最もわかりやすい部分を表現したのが、この炭治郎のモノローグセリフとなっています。
物語の主人公である竈門兄妹と、上弦の陸兄妹。両者は鬼と人という相容れない真反対の存在でありつつも、非常に似た要素を持つ兄妹である、と。
それを示した描写が、アニメでは非常に明確な演出としてオリジナルで描かれたことも大きな話題を呼びました。
『鬼滅の刃』という物語では、終始一貫して鬼と人は表裏一体かつ似た存在であることが描かれています。
テレビアニメ「鬼滅の刃」遊郭編 第2弾PV 12月5日(日)放送開始
同時に鬼を殺す側の鬼殺隊の面々も、中には過去の境遇の中で一歩間違えれば鬼になっていたかもしれない人物も多数います。
そんな物語を通してのメッセージをぎゅっと濃縮したエピソードが今回の遊郭編である、と今回のアニメを見て、改めて強く感じた人も大勢いたのではないでしょうか。