猫は求めていない時に来る

【マンガ】猫に好かれるためには…? 本編を読む

猫に好かれる人はあまり猫を構わない

 猫は求める時に現れず、求めていない時に来る生き物であるということは、広く知られている。

 いざ撫でんとこちらが意気込んでいる時は姿も見せないのに、ゴミを紐で縛ろうと四苦八苦している時にはその紐に全力で絡みに来る。腹毛を触りたい発作に襲われている時には逃げるのに、本の整理をしている時にはちょっとだけ空いた本棚を見聞しにやってくるのである。まったく思った通りにならない。かわいいこと極まりない。

 そんなところを見ていたせいか、猫に好かれる人というのはあまり猫を構わない人のイメージがある。有名なネコ漫画にもそんな人が登場していたような記憶がある。本人は別に何もしていないのに、やたら動物が周りに群がるのだ。大木か何かとでも思っているのだろうか。菩提樹がごとき包容力。いいなあ、大木になりたい。

 羨んでばかりいても仕方が無いので、せめて無心になろうと努力したりしている。洋画やあちらのドキュメンタリー番組を見ていると賢そうな人が「いいぞ」と勧めてくる瞑想とやらをしてみようじゃないか。マインドフルなんちゃらというアプリをダウンロードして、呼吸に集中するのだ。無心無心無心無心無心無心無心無心無心顔が痒い無心無心無心無心無心無心無心無心ネームどうしよう無心無心無心無心無心無心無心無心足痺れた。

 無心って難しい。猫も来ない。あっちの日向で寝転がって気持ちが良さそうだ。かわいいかわいい。

 いや、この猫を構いたいという煩悩が魂に根を張っている時点でこの木は最初から駄目なんじゃないだろうか。表向き無心が成ったとしても根腐れは確定、切り倒してタンスにでも加工した方がまだ猫が構ってくれそうな気がする。地域中の猫が宿りに来る大木への道は果てしなく遠いようだ。