どんどん速くなっていった「私鉄キラー」今や夜行特急! 往年の新快速117系 どうスゴかったのか

国鉄型117系は、登場当時としては画期的な近郊形電車でした。国鉄は全国的に同じ形式の車両投入を進めていましたが、117系は「関西圏の私鉄特急対抗」という単一目的で製造されたのです。一部は現役の117系はどんな電車なのでしょうか。

私鉄とバチバチ 京阪間の国鉄

 117系電車は、国鉄が1979(昭和54)年から製造した近郊形電車です。最大の特徴は、当時の特急も顔負けの「転換式クロスシート」を備えた2扉車であること。国鉄が投入していた近郊形電車は113系などの3扉セミクロスシート車であり、クロスシート部分はボックスシートだったため、これは画期的でした。

 近郊形電車は料金不要の普通・快速列車に使用される車種で、1970(昭和45)年に関西地区で初めて新快速が運行開始した時にも、113系が使われました。しかし新快速と競合する阪急京都線は、2扉転換式クロスシートの2800系電車を、京阪本線では同じく2扉転換式クロスシートの1900系電車(翌年から「テレビカー」3000系電車)を投入しており、サービスレベルで大差がありました。

 国鉄は急行形153系電車を、白地に青帯に塗り替えて「ブルーライナー」と名づけ、全車冷房車、15分間隔運転、京都~大阪間29分運転の高速で私鉄特急に勝負を挑みます。しかし、国鉄が京都~大阪間で運賃410円なのに対して、阪急の河原町(現・京都河原町)~梅田(現・大阪梅田)間と、京阪の三条~淀屋橋間は220円。新快速の方が10分ほど早かったのですが、座席は113系と大差ないボックスシートで、人気はいまいちでした。

 現在ではJRが580円、阪急が410円、京阪が430円と運賃格差が小さくなり、新快速の優位性が高まりましたが、当時は速度以外の全てで劣っていたわけです。

 117系はこうした状況の中で「私鉄特急対抗車」として計画されました。私鉄と同じ2扉転換式クロスシートを採用し、天井灯は特急形並みのカバーが付けられます。さらに特急形でも採用されていない、スリット式ですっきりした天井の冷房吹き出し口、ネジ頭が乗客から見えにくいように配慮された内装を備えました。座席は直後に登場した185系電車と同じものを採用。座席間隔も910mmと同等、枕カバーも備えられました。

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名鉄にも挑戦状 117系、中京地区へ

 117系は扉横も含めて全てクロスシートで、台車も特急形並みの空気ばね台車でした。なお国鉄の直近の転換式クロスシート車は、1974(昭和49)年に九州地区に投入されたキハ66系気動車の例がありましたが、こちらは有料急行としても使われる車両です。

 当時113系のグリーン車では、リクライニングしない回転式クロスシート車も連結されていましたから、設備的に大差ない転換式クロスシートの117系は「国鉄らしからぬサービス車両」として、とても注目されました。

 非貫通式でヘッドマークを掲げた前頭部、戦前の急行電車モハ52形を受け継いだクリーム1号にぶどう色2号の帯という地域色を盛り込んだ意欲的なデザインは、新時代の国鉄を感じさせました。地域色は117系が復活させた概念であり、ワインレッドに白帯の身延線用115系など、各地の地域色を実現するきっかけとなりました。117系には「シティライナー」の車両愛称もつきました。

 1980(昭和55)年に新快速として運行開始した117系は評判を呼び、国鉄は中京地区の豊橋~岐阜間への投入計画も進めます。1982(昭和57)年より快速として、名古屋鉄道の特急に戦いを挑んだのです。

 当初は名鉄優位でしたが、JR東海発足後の1989(平成元)年より中京地区にも新快速が設定されます。車両は117系から、すぐに120km/h運転の311系電車(後述)となり、110km/h運転の快速(117系)と共に、名鉄のシェアを脅かしていきました。

 なお、運行当初の最高速度は100km/hでしたが、1985(昭和60)年の関西地区における新快速の新大阪駅停車時より110km/hへ引き上げています。翌1986(昭和61)年、新快速運転区間の拡大に伴い、117系は増備されました。この際に登場したのが100番台です。100番台は側窓が桟のない1段下降窓となり、眺望性がアップしたほか座席がバケット式となりました。

 ただ、この頃が117系の全盛期でした。