もっとも苦しい時期の日産が意地で続けた3代目(1996年)

3代目FY33系シーマはテール周りを中心にY33系セド/グロとの差別化は進んだものの、ライバルに比べて高級感の薄さは否めなかったが、経営危機でコストをかけにくい時代の日産はシーマを残すだけでも大変だっただろう

1996年にモデルチェンジした3代目シーマの頃になると、3代目プレジデントはそのままに、海外でシーマが2代目インフィニティQ45となったものの、エンジンラインナップは先代同様にVH41DEとVG30DETのまま(海外版の2代目Q45はVH41DEのみ)。

テール周りの高級感は増したものの、フロント周りは相変わらず同世代(Y33系)のセド/グロ高級版という出で立ちで、クラウンマジェスタはともかく、セルシオ対抗馬としては少々物足りなくなっていました。

ターボエンジンによる豪快な加速というアイデンティティは残され、V8エンジンが高級サルーンとして自己主張していたとはいえ、経営悪化でコストをかけにくい時期の日産車ですから、かろうじてシーマをラインナップに残すだけで精一杯だったのかもしれません。

サイドエアバッグやミリ波レーダーによる車間自動制御システムなど、一般向け高級サルーンとして大事な最先端装備も施したとはいえ、この時期のシーマは「立派なセドグロ」くらいの印象しかなかったユーザーも多いのではないでしょうか。

ただ、インフィニティQ45姉妹車として生まれ、1990年代を通して販売され続けた3代目プレジデントの陳腐化が目立つ中、法人や富裕層ユーザー向けの日産を代表する高級サルーンとして、地味でも重要な役割を担い続けました。

2020年代の今ならとっくに高級SUVやミニバンに置き換わっていておかしくないのですが、1990年代当時はまだまだこの種の大型高級サルーンが必要だった、という時代の象徴とも言えます。

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