そこに本質はあるか、そして本質の原点を知っているか

初代スカイライン

歴史と伝統あるブランドに対し、一時の栄光から熱狂的なファンとなったユーザーからの意見を無視できずにズルズルと本来のコンセプトから外れたクルマを作ってしまう…というのは、たぶん古今東西どこにでもあるはずですが、国産車で極端なのは日産のスカイライン。

「ただ何となくラインナップを続けている車種へ、栄光のGTバッジをつけたNISMO追加でお茶を濁す」という現状を見るだけでも、なんとなくスポーツしなくちゃ、GTしなくちゃとワーワー言われて方向性が定まらなかった歴史の一端が垣間見えるというものです。

しかしクルマ好きならば、そのクルマがどのような背景で生まれ、どんなクルマに成長するかを望まれたかを知っていてもよいでしょう。

MOBY編集部がAIに聞いてみた、「30〜50代のクルマ好きにとって関心の高い名車」、今回はスカイラインの原点である初代と2代目の紹介です。

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プリンスセダンの正当な後継車、初代スカイライン(1957年)

初代スカイライン デラックス。後に1960年のマイナーチェンジでヘッドライトは丸目4灯となり、翌1961年にはスカイライン1900も追加

旧立川飛行機系で戦後は電気自動車を得意としていた「たま自動車」、旧中島飛行機系ながら戦後は「たま」同様にブリジストン傘下となったため、富士重工(現・SUBARU)へ合流しなかった「富士精密」の2社を結集して生まれたのが、「プリンス自動車工業」。

「戦後初の本格国産乗用車」というイメージが強い初代トヨペット クラウン(1955年)より早い1952年、当時の小型車規格ではフルサイズの1.5リッターエンジンを積む「プリンスセダン」を発売しており、皇太子殿下(現・上皇陛下)の愛車にもなりました。

その経緯から非常にプライドの高い技術者集団だったプリンスは、販売力でトヨタや日産にかなわぬものの、当時の日本で大多数を占めた悪路での耐久性と、快適な乗り心地の両立を狙ったプリンスセダン後継車を開発、1957年に発売したのが初代スカイラインです。

つまり「最初のスカイラインとは、クラウンにも対抗するような高級セダンだった」というわけで、V35以降のインフィニティ向け高級セダン日本仕様となったスカイラインは、むしろ初代からの先祖返りだった、といえるかもしれません。

耐久性とロードホールディング性能を両立するため採用した、日本車では珍しいリアのド・ディオンアクスルこそ、当時の乗用車で主要顧客だったタクシー業界にはあまりウケなかったものの(※)、オーナードライバー向けには高性能セダンとしてむしろ好評。

(※実はプライドの高さと裏腹に、前作プリンスセダンは熟成もしないままの市場投入でクレームが多発した、という事情もあったかも?)

より大排気量の1,900ccエンジンを積む3ナンバー車で、スカイラインより内外装が豪華だった初代グロリア(1959年)が登場すると、プリンス最高級セダンの座を譲るものの、1961年に小型車規格が2,000ccまで拡大すると、スカイライン1900も追加しました。

1960年代には既に設計が古く、第1回日本グランプリ(1963年)でスカイラインスポーツやグロリア(2代目・スーパー6が出る前)ともども惨敗したのは、巷でよく言われる他社との紳士協定以前である当然の結果でしたが。

それでも初代スカイラインセダンが、1950年代後半から1960年あたりまでを代表する、国産高性能・高品質セダンの1台だったことは間違いありません。

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