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ブライアントに勇気づけられ――勝負強い打撃で四番を務めた近鉄の“侍スラッガー”石井浩郎

週刊ベースボールONLINE

自身が持つ“四番像”



近鉄時代の石井

 根っからの真面目人間。常に真摯に野球に向き合う姿から、よく“侍”とも形容されたのが石井浩郎だ。

 秋田高時代は通算10本塁打で、甲子園出場はなく無名の存在。大学は以前からあこがれのあった早大へ。必死に勉強して、一般試験をパスした。文武両道を実践してみせるところに、真面目人間の真骨頂がある。

 大学時代は一度も優勝することはなかったが、通算15本塁打は歴代8位。その後、プリンスホテルに進み、全日本でも四番を務めるなど、注目を集めるようになる。1989年秋のドラフトで近鉄から3位指名を受け、入団した。

 即戦力として期待されたが、いきなりつまずいてしまう。キャンプ直前の健康診断で、急性肝炎が発覚。1カ月にわたり寝たきりの療養生活を強いられた。「1打席でも立てればいい」と考えながらベッドに寝ていたところから、石井のプロ野球人生は始まった。

 退院後も風疹を患うなど弱り目にたたり目だったが、その後一軍に昇格すると、7月に大爆発。9本のホームランを放ち、巨人・長嶋茂雄、西武・清原和博に並ぶ新人月間最多本塁打を記録。中西太コーチからは下半身中心のバッティングを叩き込まれた。凡打しても、「いい打ち方だ。甘い球ならサク越えだよ」と激励され、気分的にも乗っていけたという。最終的に打率.300、22本塁打、46打点と1年目から申し分ない成績を残したが、新人王はチームメートの野茂英雄がさらっていった。

 さらなる飛躍が期待された2年目だったが、6月に右手親指を骨折。1カ月半の離脱を余儀なくされ、3年目も右足裏側に肉離れを起こし、続いて腰痛も発症。度重なるアクシデントに見舞われた石井だったが、4年目の93年、ようやく本領を発揮する。この年は開幕から全試合四番でスタメン。打率は.309で2位、さらに最多安打もマークした。しかし、特筆すべきは得点圏打率の高さ。2年連続でパ・リーグNo.1で、しかも.368という数字は2位と2分3厘差とダントツだった。

 なぜ、チャンスに強いのか。そこには石井なりの“四番像”が深く関係している。

「たまに大きいのを打つのがクリーンアップではない。場面によってはつないだり、右打ちすることもある。状況に応じたバッティングをすることが四番打者の仕事だと思う」

 稀代のホームランバッター、ブライアントが自分の前を打っていたことも大きな刺激になった。三振かホームランか、豪快な打撃が持ち味の助っ人。どんな球が来ても自分のタイミングを大切にして思い切りスイングする姿に勇気づけられ、参考にもなったという。また三、四番で連続三振だけは避けようと、ブライアントが三振したあとは、詰まってもセンター前に落として、別のタイプのしぶといバッティングを心掛けたこともある。“いてまえ”は基本的にはブルブル振るが、その中で状況に応じたバッティングをしようと思っていた。

 そして5年目の94年、ついに初のタイトルとなる打点王(111打点)に輝く。ブライアント(106打点)を抑えての戴冠。リーグを代表する和製大砲へと成長を遂げた。

97年からは他球団でプレー



巨人時代の石井

 しかし、以降はまたしてもケガに悩まされることになる。95年には右足首、翌96年には左手首をそれぞれ骨折し、この年はわずか2試合の出場にとどまる。すると同年オフ、巨人への交換トレードが決まった。手首の手術をしたばかりだったため、移籍後は巨人の一員になるからどうこうではなく、「またバッティングができるのか」という不安のほうが大きかったという。その不安をぬぐい去ったのが97年6月26日、横浜の“大魔神”佐々木主浩から打った同点本塁打だった。実に771日ぶりの一発。引退後、最も印象に残る一打に挙げている。

「佐々木から打ったというのもあるんですけど、手首の不安もありましたから『これでまだ野球がやれる。良かった!』という喜びのほうが大きかった」

 結果的に、巨人では控えに回ることが多かったが、「代打の切り札中の切り札として使ってもらえた」と振り返る。


引退試合では巨人ファンから横断幕が

 その後、2000年にロッテへトレードで移籍。01年オフに自由契約となり、02年横浜へ。最後にもう一花――の思いもむなしく、今度は坐骨神経痛を発症し、同年限りでの引退を決意した。10月4日の引退試合は巨人戦(横浜)。石井の目に入ってきたのは、横浜ファンの姿だけではなかった。近鉄の帽子をかぶったファン、ロッテのユニフォームを着たファン、横断幕を用意してくれた巨人のファン。打席に立った際に起こった大声援に、込み上げるものを抑えることはもうできなかった。

「すべてに感動しました。小さいころから野球をやってきて良かったと素直に思えた一日でした」

 最後もまた石井らしい“真面目”な言葉で締めくくった。

写真=BBM

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