top_line

【 最新ニュースをアプリでサクサク読むなら! 】

日本人メジャーリーガーの歴代最高年俸ランキング26~30位。初のワールドシリーズ出場選手、最多登板の鉄腕も

ベースボールチャンネル

日本人メジャーリーガーの歴代最高年俸ランキング26~30位。初のワールドシリーズ出場選手、最多登板の鉄腕も

 ストーブリーグも佳境を迎えているメジャーリーグ。年々選手の市場価格が高騰し、近年では北米スポーツ史上最高契約の更新が相次いだ。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて状況は一転。2020年シーズンは、60試合制となったことで、選手の年俸は本来の約37%となり、平均年俸も2019年の437万5000ドルから117万7000ドルに激減した。
 

今シーズンのプロ野球はDAZNで!いつでもどこでも簡単視聴。2ヶ月無料お試し実施中!

 
 この事態は、日本人選手にとっても例外ではない。今オフは菅野智之投手がメジャーリーグ挑戦を表明するも、条件面が折り合わず日本球界残留を決意。7年間メジャーの第一線でプレーした田中将大投手も帰国を決めるなど、日本人選手にとっても、高額契約を結ぶことが困難な状況となっているようだ。
 
 これから、歴代日本人メジャーリーガーの最高年俸ランキングを紹介していく。時代によって1ドルの価値が変化する様や、日米の年俸格差、そして成功した選手の存在が後続の選手らの契約に与える影響を感じることができるかもしれない。
(※年俸は2019年シーズンまでのデータを使用、『BASEBALL REFERENCE』を参照。1ドル105円で統一した。)
 
<1〜5位>
<6〜10位>
<11〜15位>
<16〜20位>
<21〜25位>

30位タイ 西岡剛


 
最高年俸:300万ドル(約3億1500万円)
対象年度:2011、12年(ミネソタ・ツインズ所属)
 
 2010年オフにミネソタ・ツインズと球団オプション付の3年総額925万ドルで契約した西岡剛。日本球界では主に遊撃を守っていたが、ツインズでは俊足巧打の二塁手として期待がかかった。
 
 スプリング・トレーニングから好調を維持し、開幕戦に「2番・二塁」でスタメン出場。初安打を放つなど順調なスタートを切ったが、二塁守備での併殺プレーの間に走者と交錯し、左足腓骨を骨折。開幕から数試合で長期離脱を強いられた。シーズン中盤に復帰後は主に遊撃として起用されたが、今度は右脇腹を痛めて故障者リスト(IL)入り。そのままシーズンを終えることとなり、11年は68試合出場で打率.226に終わった。
 
 挽回したい12年だったがスプリング・トレーニングで故障離脱。後半戦にようやくメジャー昇格を果たしたが、攻守ともに精彩を欠いてわずか3試合の出場にとどまった。1年契約が残っていたオフには自ら契約解除を希望し、日本球界へ復帰した。

30位タイ 小林雅英


 
最高年俸:300万ドル(約3億1500万円)
対象年度:2008、09年(クリーブランド・インディアンス所属)
 
 2007年オフにクリーブランド・インディアンスとオプション付の2年総額625万ドルで契約した小林雅英。34歳とベテランの域に差し掛かった時期の挑戦となった。
 
 1年目の08年はリリーフとして存在感を発揮。シーズン通してメジャーの舞台で腕を振った。最終的に57試合に登板し、4勝5敗6セーブ2ホールド、防御率4.53をマーク。左右別の相性を見ると、対左打者に防御率5.54と苦手意識が見られた。
 
 09年もリリーフの一角として活躍が期待されたが、開幕から打ち込まれる場面が目立ち、早々にマイナー降格。以降のメジャー登板はなく、シーズン途中で契約解除の動きとなった。

30位タイ 大塚晶則


 
最高年俸:300万ドル(約3億1500万円)
対象年度:2007年(テキサス・レンジャーズ所属)
 
 2003年オフにサンディエゴ・パドレスと2年契約を結んだ大塚晶則。1年目の04年当初はビハインド時の登板を任されたが、好投を続けてセットアッパーに定着した。最終的に73試合に登板し、7勝2敗2セーブ34ホールド、防御率1.75、WHIP1.06の好成績を残した。
 
 05年オフにはテキサス・レンジャーズにトレード移籍。06年はシーズン序盤にクローザーへ抜擢され、63試合登板で2勝4敗32セーブ7ホールド、防御率2.11、WHIP1.07をマークし、シーズン通してチームの守護神を担った。
 
 07年は右肘痛の影響で34試合と登板数を減らし、同年限りで退団となったが、防御率2.51、WHIP1.08と安定感は維持。年俸は自身最高の300万ドルとなった。

30位タイ 吉井理人

広告の後にも続きます


 
最高年俸:300万ドル(約3億1500万円)
対象年度:2000年(コロラド・ロッキーズ所属)
 
 1997年オフにニューヨーク・メッツと契約した吉井理人。1年目の98年は開幕ローテーション入りを果たすなど29試合(171回2/3)を投じて6勝8敗、防御率3.93をマークし、オフに2年総額500万ドルでメッツと再契約を交わした。
 
 99年は31試合(174回)を投げ、防御率4.40ながら12勝8敗をマーク。先発として存在感を発揮し、チームのポストシーズン進出に貢献した。
 
 オフにはコロラド・ロッキーズへトレード移籍。しかし期待に応えることはできず、成績は低迷した。同年は29試合(167回1/3)を投じて6勝15敗と大きく負け越し、防御率5.86と不安定な投球が続いた。

29位 斎藤隆


 
最高年俸:320万ドル(約3億3600万円)
対象年度:2010年(アトランタ・ブレーブス所属)
 
 2005年オフにロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ斎藤隆。開幕直後にメジャー昇格を勝ち取ると、クローザーの役割を任されるなどフル回転の活躍を見せた。最終的に72試合登板で6勝2敗24セーブ7ホールド、防御率2.07、WHIP0.91をマークした。
 
 07年は開幕からチームの守護神を担って63試合に登板し、2勝1敗39セーブ1ホールドをマーク。防御率1.40、WHIP0.72と抜群の安定感を誇った。
 
 09年はボストン・レッドソックス、10年はアトランタ・ブレーブスと契約した斎藤。ブレーブスでは主にセットアッパーとして56試合登板で2勝3敗1セーブ17ホールド、防御率2.83とまずまずの数字を残してチームのポストシーズン進出に尽力し、同年の年俸は自身最高の320万ドルとなった。

28位 長谷川滋利


 
最高年俸:322万5000ドル(約3億3900万円)
対象年度:2005年(シアトル・マリナーズ所属)
 
 1996年オフにアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス)と契約した長谷川滋利。異例の金銭トレードという形でメジャー移籍を果たした。
 
 日本球界では主に先発として起用されていたが、1年目の97年からリリーフとしての地位を確立。同年は50試合登板、翌98年は61試合と着実に登板数を増やした。以降も活躍を続け、2000年には10勝6敗9セーブ18ホールド、防御率3.48とリリーフながら2桁勝利を挙げた。
 
 01年オフにはシアトル・マリナーズと契約。03年はシーズン途中からはクローザーを任され、63試合登板で2勝4敗16セーブ12ホールド、防御率1.48の好成績を残した。オフには2年総額630万ドルでマリナーズと契約延長。MLB通算517試合登板は日本人最多となっている。

27位 石井一久


 
最高年俸:357万5000ドル(約3億7500万円)
対象年度:2005年(ニューヨーク・メッツ所属)
 
 2001年オフにロサンゼルス・ドジャースと3年契約を結んだ石井一久。1年目の02年から先発ローテーションの一角を担い、28試合(154回)を投じて14勝10敗、防御率4.27をマークした。
 
 02年は防御率3.86と良化したものの、故障離脱も影響して9勝、04年は31試合(172回)を投げ、13勝8敗をマーク。しかし防御率4.71と安定感を欠き、チームはポストシーズンに進出したが、石井はロースターから外れた。
 
 オフにはニューヨーク・メッツにトレード移籍。同年の年俸は自身最高の357万5000ドルとなったが、けがの影響もあって19試合登板にとどまり、3勝9敗に終わった。

26位 井口資仁


 
最高年俸:385万ドル(約4億400万円)
対象年度:2008年(サンディエゴ・パドレス、フィラデルフィア・フィリーズ所属)
 
 2004年オフにシカゴ・ホワイトソックスと2年契約を結んだ井口。「2番・二塁」で開幕スタメンを勝ち取り、チームの象徴となった「スモール・ベースボール」を体現した。
 
 レギュラーシーズンでは135試合に出場し、打率.278、15本塁打、71打点、15盗塁をマークして地区優勝に大きく貢献。左右別の相性を見ると、左投手に対して打率.274、右投手に対して打率.279と満遍なく打ち返していた。ポストシーズンを勝ち抜いて迎えたワールドシリーズでは日本人初の出場選手となり、1年目でチャンピオンリングを手にした。
 
 07年シーズン途中にはフィラデルフィア・フィリーズへトレード移籍すると、オフにはパドレスと1年総額385万ドルで契約。しかし08年は開幕から打撃不振に陥ると、故障離脱もあってシーズン途中に契約解除となった。直後にフィリーズへ復帰。井口の出場はなかったが、チームはワールドチャンピオンに輝いた。

TOPICS

ランキング(スポーツ)

ジャンル