そうして愛猫はベランダに出ると、縁に座って、何時間も自宅に続く路地を見つめて「お姉ちゃん(わたし)の帰りを待っている」と。
夕方になり、母が「お姉ちゃん、帰ってこーへんよ」と声をかけると、静かに家の中に戻ってきてまたわたしの部屋へ行ってしまうのだと……。
その話を電話で聞いて、遠い異国の地で、わたしは愛猫を思ってワンワン泣きました。
【1ヶ月わたしを待ち続けてくれた猫】
そんな生活が1ヶ月ほど続いた頃、ついに愛猫はベランダへ行くことをあきらめました。
相変わらずわたしの部屋にいるものの、母の顔を見ても、ベランダに出たいとせがむことはなくなったそうです。
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きっとそのとき、愛猫の中でわたしはおそらく「死んだ」と理解されたのでしょう。
多頭飼いをしていた時期もありましたが、みんな愛猫より早くいなくなってしまいました。
だからきっと愛猫は「死別」を知っていたのではないかとわたしは思っています。
【死んだはずでは…!?】
猫の中では死んだことになっていますが、どっこいわたしは生きているわけです。
カナダで暮らし始めて9ヶ月ほど経った頃、一時帰国しました。
ようやく愛猫に会えると胸を躍らせて部屋の扉を開けると、ベッドの上に、出国したときと変わらぬ姿勢で眠る愛猫の姿が……。
感極まって名前を呼びかけると……愛猫は目をまん丸にして、この世のものではない存在と対峙したかのような、驚愕とも怯えともつかない珍妙な表情でわたしを見たのです。
今でも思い出すと笑ってしまうのですが、毛を逆立てるでも威嚇するでもなく、本当にただただ目を丸くして硬直していました。
セリフをつけるとするならば間違いなく「死んだはずでは……?」です。ゾンビに遭遇したみたいな顔してました、マジで。
滞在中になんとか愛猫をなだめすかして、元の関係に戻れましたが、あの表情、あの瞬間、一生忘れることはありません。
その後わたしは再びカナダへ行きましたが、その次に帰国したときは、もう愛猫も迷わず迎えてくれました。
【愛おしい記憶に救われる】
しかしその後ふたたび、わたしは愛猫と離れ離れになります。実家を出て、東京へ行くことが決まったからです。
年老いた愛猫を連れていくことをためらい、そしてそのまま、わたしは “彼女” の最期には立ち会えませんでした。
けれど家族全員の前で、声をかけられ、名前を呼びかけられながら、静かに息を引き取ったと聞いています。
我が家にきて19年。家族だけでなく、家に来て、彼女に会ったことがあるすべての人に愛された猫でした。
わたしが猫を好きなのは、間違いなく彼女の存在があったからです。
そこにいるだけで暖かくて、いつもひだまりの匂いがして、泣いているときは黙ってヒザの上に来てくれて。
彼女にまつわる愛おしい記憶が、彼女がわたしの人生の一部であることが、今もたびたび、わたしの心を救ってくれます。
もしかしたらわたしは、猫が好きなのではなく、ただ彼女にもう1度会いたいだけかもしれない。
それでも、この日が来るたびにわたしは彼女のことを思い出し、そして思うのです。
すべての猫と、猫好きに幸あれ!と。
どうかみんなが暖かく穏やかに、猫であること、猫を好きであることを満喫できる日でありますように。
執筆:森本マリ
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