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五輪組織委会長に就任した「橋本聖子」子供の名前は「ぎりしゃ」に「とりの」

SmartFLASH

 当時、一家は北海道で酪農をしており、その後、競走馬も育てるようになりました。そのため、最初は父から乗馬を指導されたといいます」(スポーツ担当記者)

 

 橋本氏自身がオリンピックを意識したのは、1972年の札幌オリンピックを見たときだ。冬になると牧場にあった池が凍り、そこでスケートをして遊んだことから、スケートでオリンピックを目指すと決めた。

 

 中学でスケートで頭角を現し、1984年、サラエボ五輪に初出場。1988年には、カルガリー五輪で5種目すべてに入賞した。1992年、アルベールビル五輪のスピードスケート1500メートルで、日本人女性初となる冬季五輪「銅」を獲得している。

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 1995年、参院選で初当選したあとも、議員とアスリートの「二足のわらじ」を履いた。1996年のアトランタ五輪でも、自転車競技で日本代表に選ばれている。

 

 結局、1984年、1988年、1992年、1994年の冬季五輪にスピードスケートで、1988年、1992年、1996年の夏季五輪に自転車で出場。冬4回、夏3回(計7回)の出場は日本人女性として最多だ。なお、2010年のバンクーバー五輪では、女性初の五輪選手団長を務めている。

 

 アトランタ五輪で現役引退した橋本氏は、警視庁でSPを務める警察官と結婚。夫は前妻と死別しており、すでに3人の子供がいた。その後、橋本氏は子供を3人産むが、いずれもオリンピック開催年。そのため、子供にオリンピックにちなんだ名前をつけている。

 

 シドニー五輪が開かれた2000年に生まれた子供は「せいか」ちゃん、アテネ五輪の2004年の子供は「亘利翔(ぎりしゃ)」君、トリノ五輪の2006年は「朱李埜(とりの)」君だ。

 

 橋本氏は、日本スケート連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)理事、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣などを歴任している。

 

「わが子に五輪がらみの名前をつけた橋本氏ですが、2010年、後輩で元アスリートの岡崎朋美さんが第一子を妊娠した際、その年に開催されたバンクーバー五輪にちなんで『かなだ』と名付けたら、とすすめたと報じられたこともあります」(前出・スポーツ担当記者)

 

 新型コロナウイルスや人事のゴタゴタなどトラブルが続くが、「五輪の申し子」は東京五輪を成功に導けるか。

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