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大洋優勝のカギを握るのはエース・平松政次の復活/週べ回顧1972年編

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 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

平松と山下のライバル関係



大洋・平松政次


 今回は『1972年6月5日号』。定価は100円。
 
 12年ぶりの優勝に向け、好調を維持する大洋ホエールズ。そのカギを握っているのが、エースの平松政次の復活だ。
 この年は「ずれ落ちるのが気になるから」とメガネからコンタクトに変え、活躍を誓ったが、どうも調子が上がらない。
 チームは5月9日まで首位を守るも10日、平松で落とし、3位になっていた。

「オープン戦の不振で自信喪失になっていた」と言う平松は、この敗戦で1勝5敗。
「大こく(黒)柱じゃない。真っ黒の、文字どおり大くろ(黒)柱さ」
 と自虐的な言葉もあった。

 ただ、不運もある。4月22日、初先発で初完投した中日戦(川崎)1対2の敗戦。しかも味方の1点は自らのソロだった。
 続く巨人戦で初勝利の後、3連敗となったが、2試合がやはり1対2。うち5月10日の阪神戦は1対1の9回裏、無死から四球を出すと、別当薫監督が非情の采配で山下律夫にスイッチし、その山下がサヨナラ打を浴びた敗戦だ。

 山下はプライベートでは平松と仲が良いが、こと野球になるとライバル心をむき出しにする。
 年齢は山下が3つ上だが、入団年は平松と同じ。66年秋の二次ドラフトで山下が1位、平松が2位だった。
 ともにブレークイヤーは3年目の69年で、この年、山下は15勝、平松が14勝。オフには秋山登コーチの背負っていたエースナンバー、17が山下に送られた。
 同年、山下は巨人戦に4勝、防御率1.99、平松は2勝、防御率5.05。このとき平松は「そうか、巨人戦なんだな。エースの真価は」と思ったという。
 この悔しさもあってか、翌70年、平松は25勝、うち巨人に7勝、防御率は1.50。71年にも17勝で2年連続最多勝となった。
 一方の山下は腰痛もあって17勝、7勝と伸び悩み気味。「今年こそは」と燃えて挑んだこの年は、4勝1敗と好スタートを切っていた。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

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