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南正人の『ファースト・アルバム』に残るキャラメル・ママと魅惑のセッション

OKMusic

南正人氏が1月7日に横浜市内のライヴハウス・THUMBS UPでライヴ中に亡くなられた。享年76歳。この訃報を受けて、“ライヴ中に亡くなるなんて、ミュージシャンとしては本望だったのでは…”との声も目にしたが、人生100年時代と言われる現代においては少しばかり早すぎた感は否めない。氏のご冥福をお祈りするとともに、当コラムでも氏を偲んでその作品を取り上げることと相成った。

1971年デビューの“フォークシンガー”

1971年デビューの“フォークシンガー”
先週1月7日、南正人の訃報が届いた。以下、主だった報道各社の見出しを抜粋してみる。

[フォークシンガー・南正人さんが急死 ライヴ中に意識失う 76歳](スポニチアネックス)

[フォークシンガー・南正人さん、公演中に死去 76歳](中日新聞)

[南正人さん死去 シンガー・ソングライター](時事通信)

[ライヴ中に意識失い…フォークシンガー南正人さん死去、76歳](デイリースポーツ)

[歌手の南正人氏死去 細野晴臣さんらとアルバムも](東京新聞)

概ね氏のことを“フォークシンガー”という肩書きで紹介している。筆者は世代的にもリアルタイムで氏の楽曲に触れることができなかったこともあって、ここまで自発的に南正人の作品を聴いたことがなかった。住んでいた街の老舗のライヴハウスに、今思えばおそらくツアーで来県されていたのだろう、わりと頻繁に出演されていたことはよく覚えているし、もしかすると先輩方に“南正人という人はなぁ…”とレクチャーを受けたことがあったかもしれない。けれども、これも世代が違うこともあってだろうが、あまり興味を持てずにここまで来た。よって、報道各社と同様に、氏の印象は“フォークシンガー”であり、せいぜいその日本における草分け的存在といった漠然としたイメージしか持ち合わせていなかった。

そんなわけだから、今回、南正人作品をチョイスするにあたっても何を選んでいいか分からず、まずokmusicのサイトのデータベース“南正人(ミナミマサト)の情報まとめ”を参考にした。ここに“デビュー・アルバム『南回帰線』(71年)、2nd『ファースト・アルバム』(73年)は、日本ロックの金字塔だ”とある。また、“個人的には『ファースト・アルバム』のジャケットが衝撃的だった。うつむき加減に”マリ○○ナ”を吸う姿は、そのヒッピー的風貌と相まって、南正人の特異なアーティスト性を物語っている”ともある。というわけで、当サイトで南正人の名盤を挙げるならこれはもう『ファースト・アルバム』で決まりでしょう…と選ばさせていただいた次第である。つまり、こう申し上げるのも大変恐縮ではあるが、ほぼ知識がない状態、真っ新なままで南正人に触れたとわけである。報道各社の見出しよろしく、漠然と“フォークシンガー”くらいのイメージしか持ち合わせていないことを、まずは包み隠さず申し上げておきたい。

加えて言うと、件の当サイトの南正人のデータベースには、“ビートニク思想”や“ヒッピー思想”、さらには“アシッド・フォーク”といったキーワードも散見される。それぞれの言葉の意味が分からない人はググってほしいが、前述の”マリ○○ナ”を含めて、誤解を恐れずに言えば、今となってはちょっと危険な雰囲気は否めない。その後、軽く調べたところ、然るべきところで然るべき処置をされたとの噂もある(あくまでも噂のようではある)。氏はフォークシンガーではあるものの、所謂、商業フォークや産業フォーク方面のアーティストでないことは間違いないようだ。少々面倒くさ…もとい──若干、恐る恐る、『ファースト・アルバム』をセットしてプレイボタンを押した。

フォークソングに留まらないサウンド

で、聴いてみた。結論から言うと、想像していた“フォークシンガー”の音源とは大分違っていた。真っ当なフォークから外れたという意味では、確かに“アシッドフォーク”寄りと言えるかもしれないが、ブルースであったり、ジャズであったりの要素も多々あるし、バンドサウンドを基調としたものも多いのでフォークロック、いや、もっと単純にロックと呼んでいいものではないかという気がする。“日本ロックの金字塔だ”というのも分からなくもない。

オープニングのM1「いやな長雨」は確かにアコースティックギターの弾き語りスタイルのようではあるので、これがフォークとカテゴライズされるのも理解できなくもない。ただ、コード進行も含めてどう聴いてもブルース。歌詞がほとんどなく、ヴォーカルはハミングかスキャットというのもそうだ。ギターの音色がケルトっぽい印象もあって、この辺がアシッドフォーク的と言われるなのかもしれないと思ったりもした。続くM2「午前4時10分前」でフォークのイメージは完全に払拭された。どこをどう聴いてもバンドサウンドである。しかも、各パートの躍動感が半端じゃない。とりわけベースがブイブイと鳴っている様子が極めて印象的であり、ヴォーカルよりもベースが主旋律を奏でているのでは…と思うほどだ。全体には実にグルービーなサウンドを聴くことができ、それが尻上がりにテンションを上げていく。アウトロ近くで一旦ブレイクし、アコギのストロークのみとなったところで“あぁ、なるほど…こういうところを指してフォークと呼ぶなら、それも分からなくもない”などと思ったのも束の間、そこに迫力のあるドラムが重なり、ベース、鍵盤、エレキギターが続く。ここが超カッコ良い。アウトロ部分はおそらくインプロビゼーション、アドリブの類いであろうし、凄まじいセッションを聴くことができるのだ。

如何にもブルースといった展開でありつつも、やはりケルトっぽいアコギや、薄く重ねられたアコーディオンが独特の雰囲気を醸し出しているM3「紫陽花」もなかなかいいが、その次のM4「ア・ウィーク」ではさらに著しいバンドサウンドが発揮されている。出だしは、どこかのCMで使われていたような、物悲しい空気感の弦楽器(たぶんアコギ)の単音弾きから入るが、カズーが入る辺りからどんどんニューオーリンズ風味が色濃くなっていく。カズーを使っているというのもどこか象徴的だし、そのカズーに続いて声も入るものの、ここでも歌詞はなくてハミングである。歌詞とそれが乗った旋律ーーいわゆる歌を伝えようとしている…というよりも、バンドとのセッションを楽しんでいる印象である。ハミングしているので一応ヴォーカルはヴォーカルの役割を果たしていると言えるが、M4「ア・ウィーク」ほとんどインストと言ってよかろう。中盤から次第にテンポが速くなっていき、南氏が咳き込む音も入っているし、「これ、速すぎる」という笑い声も収められており、ライヴ感が伝わってくるような録音であることも注目だ。ヴォーカルが咳き込むほどのテンポ感というのは速すぎというより、行きすぎではあっただろうが、それだけこのバンドとのセッションがスリリングで、それが参加しているメンバー全員にとって魅惑の時間だったからに他ならない(そのテイクが収められているのだから何をかいわんや、だろうが…)。

M5以下はザッと説明させてもらう。エレキギターがポップで、メロディアスな歌が聴ける上、転調気味な構成も興味深いM5「愛のふきだまり」。ニューオーリンズジャズと関西ブルースとの融合のような印象の男女デュエットM6「ブギ」。フレンチポップス的なシャレオツなサウンドが聴けるM7「五月の雨」。落ち着いたバンドサウンドで聴かせるスローバラードM8「家へ帰ろう」。そして、M1「いやな長雨」と同じ構造(たぶんキーやコードも同じだろう)のM9「レイジィー・ブルー」がフィナーレとなっている。M7「五月の雨」の歌メロが言われてみればフォークソングっぽいかも…とも思ったりはしたし、M1、M9でのアコギ弾き語りスタイルも無理矢理そこに押し込めることもできなくもないないけれども、全体的にはやはり多く人が想像するフォークとは趣は異なる。全てを聴き終えて、少なくとも商業フォークや産業フォークではないことは確信に変わった。

キャラメル・ママが参加した本作

この要因は諸々あろうが、主たる要因はバンドサウンドによるところだ。本作のバンドメンバーはキャラメル・ママである。そう言ってもピンとこない人には、キャラメル・ママはティン・パン・アレーの前身と言ってもピンとこないであろうから、そのメンバーを記そう。細野晴臣(Ba)、鈴木 茂(Gu)、林 立夫(Dr)、松任谷正隆(Key)である。もはや説明は不要であろう。また、M6「ブギ」の女性ヴォーカルはりりィであり、さらに言えば、日本のエンジニアの草分け吉野金次氏が本作のレコーディングエンジニアを務めている。日本のロック、ポップスの黎明期を支えた幾人ものレジェンドが参加している。単にフォークや何だというジャンルに収まるわけがないのである。

ちなみに1971年に発表された前作『回帰線』もほぼ同様のメンバーが参加しているそうで、そこでのレコーディングでの確かな感触を得て、それから2年後の『ファースト・アルバム』でも引き続き、南氏は彼らを起用したと思われる。どういうつながりと流れがあって氏らが集ったのかは今回、調べがつかなかったが、M2「午前4時10分前」やM4「ア・ウィーク」を聴く限り、自身がコンポーズした曲とキャラメル・ママの演奏とが醸し出すケミストリーを信じたことは間違いないだろう。だとすると、それだけでも南正人が単なるシンガソングライターではなく、プロデューサー視点を兼ね備えたアーティストであったことが想像できるし、それはあながち的外れではないと思う。

(たぶん)晩年の南正人氏の演奏する姿がYouTubeにアップされており、それを観る限り、アコースティックギターを抱え、ハーモニカホルダーも着けているので、確かに氏をフォークシンガーと括るのも分からなくもない。しかし、『ファースト・アルバム』に残る音像は我々が簡単に想像するフォークではなく、もっと幅広く、奥深いものである。また、ここまでは歌詞を紹介してなかったけれども、本作のリリックは日本的な情緒を感じさせるものであるが、いわゆるプロテストソングの匂いはまったくないと言っていい。氏の全ての作品を確かめたわけではないので、それは本作だけの傾向かもしれないが、少なくともここではもろに1960年代後半のヒッピー思想のようなものは感じられない。何と言うか、もっと自由な印象だ。完全な半可通ではあるものの、そんな自分からしても、やはり南正人を“フォークシンガー”と括るのは少しもったいないように思う。たむけの意味でもそこは強調させてもらいたい。あと、何がもったいなって、『ファースト・アルバム』は現在、廃盤になっていることだ。権利関係はいろいろあろうが、追悼の意味で再度の復刻を期待したい。その作品を多くの人に聴いてもらうことこそ、個人への最大のはなむけだろうと思うのだが…。

TEXT:帆苅智之

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