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<歌手生活50周年・特別インタビュー>八代亜紀「私が歩んだ昭和炎歌」(3)阿久先生の言葉は私の宝物

アサ芸プラス

──歌謡選手権の時には、作曲家・鈴木淳先生のところにレッスンに通っていました。

八代 72年に10週勝ち抜いたあとは、先生のご自宅の2階に居候してレッスンを受けながら、曲ができるのを待ちました。私はいつ先生に呼ばれてもいいように寝ないで、夜中の2時、3時にピアノをポロンポロンと弾く音を聴いていました。すると、先生が奥様で作詞家の悠木(圭子)さんに「呼んでおいで」とおっしゃってる。悠木さんが「もう寝てるわよ」と言いながら階段を上がってくる音がして「起きてる? 曲ができたんだけど」と呼びに来てくれたんです。それが「なみだ恋」です。鈴木先生にはその後もたくさん曲をいただきました。私にとっては「音楽の父」です。昨年3月も鈴木先生、悠木先生に「明日に生きる愛の歌」を作っていただきました。

──その後、79年に阿久悠作詞の「舟唄」が大ヒットします。

八代 「舟唄」の詞を読んだ時に、これは大ヒットするなと思いましたね。日本人の心をわしづかみするんじゃないかと。先生にはうれしい言葉もいただきました。「俺は八代亜紀と出会うために9年間、助走をつけてきたんだ」とおっしゃって。この言葉は私の宝物です。

 阿久先生との思い出は35周年のステージに来てくださった時のことかな。私が描いた油絵の肖像画をプレゼントさせていただきました。その後、07年に亡くなられましたけど、あの時、少年のように喜んでいたのが忘れられません。その絵は先生の郷里・淡路島の図書館に飾られています。

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──NHK「紅白歌合戦」(23回出場)の思い出もたくさんあると思います。

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