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阪神・江夏豊はなぜ投げまくったのか/週べ回顧1972年編

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 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

太く短く生きていくほうが美しい



阪神・江夏豊


 今回は『1972年5月29日号』。定価は100円。

 巨人・堀内恒夫は言う。
「言っちゃ悪いが、俺より江夏のほうが寿命が短いだろうな」
 阪神のエース、江夏豊である。
 前年の1971年は15勝に終わったが、江夏と言えば、自他ともに認める球界最強左腕。しかし、その起用法があまりにも過酷ではないか、という声が挙がっていた。
 この年、3連戦であれば初戦に先発し、3試合目にリリーフが当たり前。チームが22試合消化時点で11試合に登板し、イニングは60回を超えていた。
 体調が万全というわけではなく、ヒジ、肩、心臓と満身創痍。それでも他の選手が故障や調子が上がらず、江夏に頼るしかないという台所事情もあった。
 
 しかも、江夏はまったく文句を言わず、投げ続けていた。
理由は2つあったようだ。
 1つは、村山実兼任監督がチームの不振もあって指揮権を返上し、投手専念となったことに対する責任。
「俺が開幕戦で中日に負けなければ、チームは軌道に乗っていたかもしれない。そうすれば監督が投手専念という今の形にはならなかったはずだ」(江夏)
 もう1つは、指揮権を持った金田正泰コーチへの信頼である。
 記者によれば、
「金田さんは評論家時代から江夏に愛情を持ってペンを走らせていた。そのことを知っていた江夏には、金田さんのためにも、という思いもあるらしい」

 皮肉な話だが、もはやローテ完全無視で“江夏シフト”を組んでいる阪神は先発ローテ確立の先駆者でもあった。
 導入したのは、62、64年のリーグ優勝を導いた藤本定義監督だ。江夏入団時の監督でもある。
 この人はキャンプでオールスターまでの日程表をにらみ、巨人戦に村山、バッキー、江夏を置いて、そのうえで他カードの割り振りをした。そして、これをオールスター期間に再構築し、後半戦に挑むというスタイルだった。
 三本柱とそれ以外、さらに谷間には力不足の投手を3、4人の組としてはめ、鉄のローテーション、頑固ローテーションと言われながら押し通した。
「戦闘機が編隊を崩してみろ。最初はいいが、やがて一斉射撃を受けてつぶされてしまう。一番機、二番機、三番機が落ちたら、ほかのへたくそなパイロットが乗った飛行機は自爆や。どんなことをしても編隊を崩したほうが負けや」
 単に勝利に徹したローテではない。藤本はこんなことも言っている。
「ピッチャーはチームだけの財産じゃない。プロ野球の、そしてスタンドに来てくれるファンの財産なんだ」
 優勝するためには何人か投手をつぶさなければならない、とも言われた時代の中でとった、投手を守るための施策。それが完全に崩れた姿を、当時の藤本はどう見ていたのか……。

 当の江夏は酷使という声、堀内の言葉を聞き、こういう。
「俺の人生は俺のもの。特にこの世界では太く短く生きていくほうが美しいじゃないか」

<次回に続く>

写真=BBM

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