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「家事は放棄して、と言われ…」岩下志麻語る“戦友”夫婦像

女性自身

「家事は放棄して、と言われ…」岩下志麻語る“戦友”夫婦像

『心中天網島』など日本映画史に残る名作や、『極妻』など、近寄りがたい美貌で、ちょっと怖そうな印象を持つ人も多いはず。そんな岩下志麻さん(79)がコロナ禍で、自宅のリビングで大好きな阪神の試合に、大声を張り上げながら熱狂しているというからビックリだ!夫は、篠田正浩さん(89)。女優と監督としてコンビを組んできた夫婦の関係は半世紀にわたってお互いに自由で自立しているーー。

 

「篠田との初デートは、彼が監督した『暗殺』の京都ロケで。先斗町のお料理屋さんで、2人で2升空けました(笑)。デートでは、いつも熱く映画のことを語っていましたね。でも、まだ恋愛感情はなくて、尊敬止まりでした。

 

ところが撮影を終えて、赤坂のナイトクラブで篠田とマンボを踊っていたら、突然、この人と結婚するんだ、と直感したんです。それで、踊りながら言ってしまったんです。『どうも私、監督さんと結婚するような気がします』。彼はびっくりした顔で席に戻ってしまい、『ひどい清純派もいるもんだ。こうやって男を口説いているのか』と思ったみたい(笑)」

 

当時、監督と女優の交際はタブーで、会社側は猛反対。岩下さん本人も、野村芳太郎監督の『五瓣の椿』でブルーリボン賞の主演女優賞に輝き、23歳にして「初めて女優としての自覚を持てた」ところだった。

 

「ですから、すぐに結婚ではなく、まず同棲してみようとなったんです。田園調布の一軒家でしたが、SNSの盛んないまなら大変だったでしょうね。よく、見つかんなかったな、と(笑)。2年の同棲生活のあと、私が26歳のときに結婚したのですが、そのとき篠田が言いました。『結婚しても、女優はやめないでほしい。むしろ結婚生活を栄養分にして、女優としてもっと豊かになってほしいんだ。女優として家庭は休息の場にして、家事もいっさい放棄していいよ』私自身、役に入り込むタイプですから、この言葉はありがたかったです。

 

ただ、世間的には、家事をしないと知られたことで、『主婦の風上にも置けない』と、かなり激しいバッシングを受けました。でも、これも篠田が全面的にバックアップしてくれました。なにより、その後、夫婦で独立プロを立ち上げたりして必死でしたから、そんな批判の声を気にするヒマもなかったんです」

 

篠田さんは、新婚当初から妻となった岩下さんのことを「戦友」と呼んだ。早くも結婚から2カ月後には、二人三脚で映画の独立プロダクション「表現社」を立ち上げる。

 

「ふだんはけっして弱い部分を見せない篠田が、松竹を辞めた日にウイスキーを1本空けて、へべれけになっている姿を目撃したんです。ああ、この人にとってはそれほどの決意なんだと改めて知り、なんとか力になりたいと思いました。69年に篠田と組んだ『心中天網島』では、初めてチケット売りも体験しました」

 

この映画は興行的に大ヒットしたばかりでなく、『キネマ旬報』ベスト・テン1位や、岩下さんも数々の主演女優賞に輝くなど高い評価を得て、夫婦の代表作となった。

 

その後の86年、『鑓の権三』を監督するにあたり、篠田さんは言った。

 

「これで、僕が撮る岩下志麻は最後だよ」

 

四半世紀にわたった監督と主演女優のコンビに終止符が打たれた。しかし、岩下さんの女優としてのチャレンジは続く。同年、前出の『極妻』シリーズへの出演で、さらに新境地を開いたのだった。

 

そして72歳になった篠田監督は引退宣言をして、執筆活動に入った。当時のインタビューで、岩下さんは「これでやっと、女優としてではなく、妻として彼と向き合える時間が増えると思います」と語っていたが。 「ふふふ。そうは言いましたが、映画のお仕事も続きましたし、やっぱり私は女優でしたね。

 

それから、つくづく思うんです。結婚にあたり、『家事はしないでいい』と言った彼ですが、まあ、新婚当初はそうでも、そのうち変わるかもと思っていたら、まったく変わりませんでした。

 

いまだに部屋も別で、互いに自由にやりたいことをやってます。当時から、私が篠田の映画に出たらギャラをもらっていましたし、税金も別々に払ってきました。お財布も別々、相手の貯金額も知らないし、月々の家計が折半というのも変わりません。彼は引退しましたが、自由で自立した夫婦の関係は、半世紀以上たっても同じですね。

 

もし、献身的な奥さんを求められていたら、私なんて、3日で追い出されたでしょう(笑)」

 

「女性自身」2020年10月20日号 掲載

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