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「Fate」の悪役・言峰綺礼から学ぶ、“自分らしく生きる”ために必要なこと 自らの“欲望”に自覚的であれ

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「Fate」の悪役・言峰綺礼から学ぶ、“自分らしく生きる”ために必要なこと 自らの“欲望”に自覚的であれ

『Fate』シリーズの言峰綺礼は努力の人だ。彼は、とてつもない努力と研鑽の末に自分の本質が悪だという結論に達したキャラクターである。

彼は人が苦しむ様を見て「愉悦」を感じる。愉悦のためには、人が死んでもかまわないし、孤児でもなんでも利用するし、だれかを破滅に導くこともいとわない。とんでもない悪人である。



そんな度し難い悪である言峰が時折、輝いて見えることがある。なぜなら、彼が「自分らしい生き方」をしているからだ。

「自分らしく輝いて生きよう」といろんなところで語られている。映画でも、アニメでも、マンガでも、広告の宣伝文句でも「自分らしく生きる」は、ほとんどの場合ポジティブな意味で言われ、それは大抵、良いことのように描かれる。誰だって自分に正直に生きたいと思っている。だから、それができる人に憧れるので、物語でもテーマにされやすい。

しかし、通常それが描かれるのは主人公サイドであって、悪役がそのテーマで描かれることは珍しい。

言峰も最初から他者の苦しみに愉悦を感じていたわけではない。いや、最初から感じていたけれど、それは悪いことだと理性で否定していたと言った方が正確かもしれない。



言峰は神父である。父も敬虔な聖職者で、自らも神の教えを信じていた。『Fate/Zero』で、彼は神学校を飛び級し、さらに首席で卒業するほどのエリートだったことが語られている。そのほか、ものすごい修練を積み、多くの名声と地位を得ていたことも示唆されている。

しかし、それでも彼はまったく人生に喜びを見いだせなかった。どれだけ努力しても虚しさが消えない。ライバルとなる主人公の衛宮切嗣は、そんな言峰について「この男の人生にはただの一度も情熱がない」と語っている。

それは、彼の努力が全て「本当に自分がやりたい」ことに向けられていなかったからだ。大嫌いな勉強を塾などで一生懸命やっても情熱を感じないし、親に無理やり習い事をさせられてもつらいだけなのと似ているかもしれない。

彼は聖杯戦争に参加し、自分の本当の欲望が他人の不幸にあることを知った。『Fate/Zero』の主人公は衛宮切嗣だが、敵役の言峰もそんな風に本当の自分を見つけ成長していく過程が描かれていて、まるでもう一人の主人公と言えるように扱われている。

彼の自分らしい生き方は、対立する衛宮親子と対照的なようで、どこか似ている。衛宮切嗣は、正義の味方になりたいとずっと願っているにもかかわらず、魔術師殺しとなってしまう。一人でも多くの命を救うために、少数を切り捨て続け、結果的には多くの命を奪ってしまう。切嗣は自分らしく生きられなかったのだ。自分らしく生きられなかった主人公と、自分らしい生き方を見つけた悪役という構造になっているのがこの作品のユニークな点だ。



それでは『Fate/stay night』の主人公、衛宮士郎はどうだろうか。『Fate/stay night』は知られている通り3つのルートに分岐するので、それぞれの物語で主人公のあり方が異なる。文字通り自分との闘いで自分らしい生き方を問うルートもある。『Fate/stay night』の時点では、言峰はすでに自分らしい生き方を見つけていて、その生き方に殉じて行動している。3つのルート全てを通して、その自分らしさが全くぶれないのがすごい。

言峰は、中途半端な悪ではなく、大変な努力を重ねて自分が悪だと結論づけた男なので、例え物理的な勝負に勝てたとしても、理屈や心の勝負で倒すのは難しい。
それに、自分に正直に生きている人間は輝いて見えるものだ。悪役らしからぬその輝きが言峰を特別な悪役たらしめる理由ではないだろうか。

度し難いほどの悪なのに、我々は彼を羨ましいと思ってしまうし、「自分らしく生きることは大切だ」という教訓まで教えられてしまう、稀有な悪役なのである。

(C)TYPE-MOON・ufotable・FSNPC

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