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痴漢はなぜなくならないのか。なぜ女性の“声”は炎上しやすいのか――田房永子が語る男社会のしんどさ

ダ・ヴィンチNEWS

『男社会がしんどい 痴漢だとか 子育てだとか 炎上だとか』(田房永子/竹書房)

〈「男社会がしんどい」という言葉は、男性を責めるためのものではないことを先に言っておきたい〉という一文から田房永子さんのエッセイ『男社会がしんどい 痴漢だとか 子育てだとか 炎上だとか』(竹書房)は始まっている。

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 男社会というのは、男性優位のしくみでできあがった社会のことをいうのであって、男性そのものを責めたり否定したりするものではないし、男性自身も男社会の構造によって苦しめられているケースは大いにあるはずだ。だからといって女性が「しんどい」と声をあげるのに対して「男性だってつらいんだ」とか「みんな我慢してやってきたんだから、自分でなんとかしろ」というのは、論点がちがう。

 本書はあくまで、田房さんが一人の女性として生きてきたなかで「しんどい」と思ったり「これっておかしくない?」と怒りを感じたりしたことをとりあげて、解決策を見出そうとする作品であることを、最初に述べておきたい。タイトルにあるとおり本書はおおまかに分けて「痴漢」「子育て」「炎上」について書かれている。

 まず痴漢(本書で触れているのは電車内での痴漢)について、自身も苦しめられた学生時代をふりかえりながら、「なぜ痴漢をするのか」「なぜなくならないのか」を専門家の話や周囲の人たちから聞いた実感などを通じて分析する。そこでわかったのが、電車内痴漢とは「日本の中でも電車という交通機関が発達している地域に限定される上に、『痴漢をしたらあなたの一生台無しに』等の加害者側が損をするからやめよう、という呼びかけのポスターで啓蒙されているため、その犯行の実態を当事者以外が認識しづらい犯罪」であるということ。そして「世の中には痴漢OKの女の子がいる」「女の子のほうから自分の世界に飛び込んできた」と錯覚している痴漢加害者がいるということ。

 読んでいて「だからか……!」と腑に落ちたのは、私自身の経験からだ。電車で痴漢に遭ったとき、必死でよけていたら舌打ちされた。恐怖のあまり何も言えなかったし、加害者がなぜ怒っているのかもわからず混乱した。「本当は気持ちよかったんでしょ」と言う男性に、絶句したこともある。別の男性が怒ってくれたから、全男性がそうだとはもちろん思わないが、でも、貞淑な女性が男性に見初められることをよしとする、みたいな文化の名残がこういう錯覚を生むのではないか、と思う。

 2017年に法改正されるまで、痴漢が被害者からの告訴がなければ立件されない親告罪であったのも、明治時代に家父長制をもとに制定された刑法がそのまま受け継がれていたからだと、本書を読んではじめて知った。夫以外の男性と性行為した女性は姦通罪でつかまっていた時代、強姦の被害に遭った時は必死で死ぬほど抵抗したかどうかが追求された。

 姦通罪はなくなったけれど、強姦罪には現在も、加害者による明確な暴行又は脅迫があったことを証明できなければ罪に問えない「暴行脅迫要件」がある。

 でも、突然の理不尽な暴力にはっきりと抵抗できる女性がどれだけいるだろう。多くの女性がセクハラを笑ってやりすごすのは、決して受け入れているわけではなく「びっくりしすぎて/怖くて、笑うしかなかった」からだ。

 本書では「大したことじゃない」「隙を見せるほうが悪い」と女性が女性を黙らせるケースについても書かれている。痴漢に限らず、声をあげようとする女性を、女性が疎ましがることがときどきあるが、その根っこにあるのはやはり「女性の発言をめんどくさがる男社会」である気がする。

 本書を読めば、子育て問題やコンビニのエロ本撤去など、一つひとつのテーマに対して、田房さんがとても真摯に誠実に向き合っていることがわかる。誰かを傷つけたいわけでも責めたいわけでもない。ただ、これからの時代を生きる若い世代や子どもたちに負の遺産を残したくない、これからをもっとよくする方法を話し合いたいだけだ。それに対して私たちは、男も女も関係なく全員が当事者となって考えなければならないのだと思う。さまざまな問題を可視化し、構造的に理解することで少し楽になる部分もある。当事者の一人として、今、この本を読めてよかったと、心から思う。

文=立花もも

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