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「愛せない家族は、愛せないままでいい」機能不全のDV家庭を生き抜いた著者が気づいた家族の選び方

ダ・ヴィンチNEWS

『家族、捨ててもいいですか? 一緒に生きていく人は自分で決める』(小林エリコ/大和書房)

“私の家族は小さな国家だったと思う。力のあるものが暴利を貪り、それ以外のものは従うのみである。それでも、そこにはどこかに愛があった。”

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『家族、捨ててもいいですか? 一緒に生きていく人は自分で決める』(小林エリコ/大和書房)の冒頭に記されたこの一文を目にした時、封印したはずの記憶が浮かんできて、涙が止まらなくなった。あぁ、これは我が家のことだ。そう思ったのだ。

DV・自殺未遂・精神科病院への入院の果てに見つけた「新しい家族」

 著者の小林さんはDV家庭に育ち、自殺未遂や精神科病院への入院を経験。母親との共依存関係にも苦しんできた。そんな半生をしたためた小林さんの『わたしはなにも悪くない』(晶文社)は大きな話題となり、同じく機能不全家族の中で育った筆者も強く心を揺さぶられた。

 前作同様、本作でも小林さんはこれまでの人生を赤裸々に告白しているが、今回は苦しんだ日々と共に家族の愛を感じた思い出も掲載。2つの記憶を踏まえ、「家族を憎みたいけれど憎めない」という毒親育ちならではの複雑な感情を代弁した上で、心が楽になる “新しい家族の枠組み”があることを私たちに教えてくれている。

 小林さんの家族はおそらく壊れていた。まだ幼い娘をスナックや競馬場に連れて行った父親や子どもが求める愛情を注げなかった母親、暴力を振りかざした兄…。

“誰も観客がいない中、私たち家族は「家族」を演じていた。でも、それには無理があったのだ。私たちは一緒に暮らすことで不幸になった。”

 だが、家族史の中にはみんなで旅行に行ったような、ほんの少し愛情を感じられた思い出も混在していたからこそ、家族を憎み切れず、苦しみ続けてきた。

“私は自分が育った家族を「幸せな家族」だとは思っていないが、不幸ばかりだったとも思わない。”

“私は自分の家族を捨てたいと願っているけれど、それをすることが未だにできない。捨てたと思ってもゴミ箱の中を漁り、取り出しては埃を払い、そっと引き出しにしまい込んでしまう。そして、時間が経ってからまたゴミ箱に捨てるのだ。”

 悩み迷いながらも、生きる日々。その中で小林さんは、気づく。血縁の家族に固執しなくても、私はすでに「新しい家族」を手に入れているのかもしれないと。

“私の周囲には面白い人が多い。(中略)私が欲しかった言葉をくれて、私の存在を認めてくれる。どうしても寂しいときは連絡すれば一緒に食事したり、お酒を飲んでくれたりする。(中略)今の私には父も母も兄もいらない。たくさんの友だちがいれば生きていける。それはまるで大きな家族のようでもある。”

 心を傷つける家族は捨ててもいい。「本当の家族」は気づかないうちにそばにいてくれたり、自分の手で作ったりすることもできる。そう知った小林さんは、新しい家族とこれから先の人生を歩む決意を固めていく。

 一緒に生きていく家族はもっと自由に選んでいいと気づかせてくれる本作は、家族で苦しむ人の支えとなる感涙本。家族の選び方を知ることで、私たちはもっと自分らしく生きられるようになる。

家や血縁ではなく「心」でつながり合える家族を

 小林さんの傷は自分のものと、よく似ていた。自分にとっての「家族」は、どんなに笑える日を過ごしていても、その顔を目にするだけで途端に心が曇る存在だ。誰に対しても高圧的で暴言を吐く父親と、筆者を愚痴吐き場として使う母親。茶番のようだった家族ごっこを、今でも憎んでいる。

 けれど、まれに家族みんなで笑った思い出もあるから、両親を憎みきれない自分もいた。だから、小林さんの相反する家族への想いは骨の髄に染み、「新しい家族」と共に生きるという選択肢も知れてうれしかった。周りをよく見渡せば自分のそばにだって、傷だらけの姿を見せても笑顔を向けてくれる「新しい家族」がたくさんいる。その事実に気づけた時、涙が止まらなかった。

 愛せない家族は、愛せないままでいい。だから、家や血縁ではなく、心でつながりあえる「新しい家族」に目を向けてみよう。そう語りかけるかのようなエッセイの数々は、長年抱えてきた傷の治療薬にもなってくれた。

文=古川諭香

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