【夏の甲子園名勝負】優勝候補・池田を破った1年生エース・桑田真澄の投打
【夏の甲子園名勝負】優勝候補・池田を破った1年生エース・桑田真澄の投打
連日、熱戦が続く夏の甲子園。『週刊ベースボール』では戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を1日1
連日、熱戦が続く夏の甲子園。『週刊ベースボール』では戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を1日1試合ずつ紹介していきたい。

「自分の好きな内角高めを狙おう」



2回裏、桑田が2ラン。「あのとき水野さんがスライダーを投げたら間違いなく三振でした」と振り返る

<1983年8月20日>
第64回大会=準決勝
PL学園(大阪)7-0 池田(徳島)

 前回は、やまびこ打線とも言われた猛打で、1982年夏に優勝を飾った池田が、準々決勝で早実のエース・荒木大輔(のちヤクルトほか)を打ち崩した試合を振り返ったが、今回は、その池田の“敗戦”を紹介する。

 早実の勝利で勢いに乗り、同大会優勝を果たした池田。迎えた84年センバツは、3年生となった水野雄仁(のち巨人)がエースで四番に座り、さらに凄味を増した。打線もそうだが、投げても水野は、徳島大会から甲子園決勝まで自責点ゼロで甲子園夏春連覇をあっさりと手にしている。

「あの後はすごかったよ。テレビの特番が3本できた。当時、関西の新聞にはプロ野球みたいに池田番がいたし、練習からずっとテレビカメラに追いかけられた。俺らはまったく気にしなかったけど、蔦さん(文也監督)が殴れなくなるのはよかったね(笑)」(水野)

 迎えた3年夏の甲子園も、当然絶対の優勝候補。史上初となる池田の「夏春夏」の3連覇なるかが大会最大の注目だった。

 実際、ほぼ危なげなく勝ち上がる。準々決勝では“事実上の決勝戦”とも言われた難敵・中京(愛知)戦にも3対1で勝利した。ただ、このとき実は、水野に異変が起きていた。3回戦の広島商戦で頭部に死球を受け、以後、連日の猛暑もあって「ずっと放心状態だった」(水野)という。

 準決勝の相手はPL学園(大阪)。水野は「中京戦の後、できたらPLとやりたいなと思った。1年生のピッチャーだから一番楽かな、と思っていた」という。

 PLは1年生・桑田真澄(のち巨人ほか)がエース、同じく1年生の清原和博(のち西武ほか)が四番。この時点では、大きく騒がれていたわけではない。桑田も準々決勝の高知商で勝ちはしたが、メッタ打ちを食らい、それを見ていた池田ナインは「これなら悠々勝てるだろうと思った」(水野)。

 8月20日、マウンドに上がった桑田は、ベンチから出てきた池田ナインを見て驚く。体の厚みが違ったからだ。ウエートで鍛え上げた体は、ユニフォームがピチピチに見えるほど大きかった。

「試合中、一度も池田ベンチは見ませんでした。見たら圧倒されそうなんで」(桑田)

 1回表は、池田打線に連打を浴びながら自らのファインプレーで辛うじて失点0に抑えた桑田が、まず見せたのはバットだった。「スライダーが来たら空振りでもいいので、自分の好きな内角高めを狙おう」と決めて強振し、2ランホームラン、続く住田弘行も連続ホームラン。PLは、この回で4対0とリードすると、その後も順調に加点し、7対0の大差で勝利を飾った。

 完封勝利の桑田だったが、のち「甲子園大会で9回二死まで圧力を感じながら投げた試合は、この池田戦だけでした。この試合に勝って周りに空気がガラッと変わった。何でこんなに騒がれ、注目されるんだろうという感覚でした」と語っている。なお、清原は4連続三振。こちらには先輩の水野が意地を見せた。

 水野はのちのインタビューで、こう振り返っている。

「5季連続で出た荒木さんに勝って池田が連覇して、その池田に勝ったPLが5季連続出場でしょ。ほんとドカベンの世界だよ。こんなのないだろ!」

 この大会、PLは、そのまま勝ち上がり優勝。以後、桑田、清原は「KKコンビ」と呼ばれ、池田の後、さらに華やかな新時代を築き上げることになる。

写真=BBM
(更新日:2017年8月19日)

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