サニブラウンを甦らせた女子選手。「は? 経験のためにロンドン?」
サニブラウンを甦らせた女子選手。「は? 経験のためにロンドン?」
「ハキーム、やったね!」 陸上の全米選手権で女子走幅跳で優勝を果たしたティアナ・バートレッタは、日本の取材陣を見ると、ガッツポーズを作りながらそう発した。「本当によく頑張ったよね。

日本選手権では、100m、200mの双方で圧倒的な勝利を見せたサニブラウン。187cmという体格も、可能性の大きさを期待させる。 (photograph by Takashi Shimizu)

「ハキーム、やったね!」

 陸上の全米選手権で女子走幅跳で優勝を果たしたティアナ・バートレッタは、日本の取材陣を見ると、ガッツポーズを作りながらそう発した。

「本当によく頑張ったよね。すっごくうれしいし、誇らしい」

 満面の笑顔で、弟分のサニブラウンのことを褒め称えた。

 北京世界陸上、ロンドン五輪、リオ五輪で金メダリストを獲得したバートレッタは、この6カ月、陰に日向にサニブラウンを支えてきた選手の1人だ。

 6月11日、オランダ北東部ヘンゲロ。

 200mのレースを終えると、サニブラウンは疲れた表情で掲示板に視線を向け、ベンチに力なく座り込んだ。

 直前練習でも好タイムを出していて、指導するレイナ・レイダーコーチも「楽しみにして」と言うほど状態は良かった。しかし結果は21秒10と惨敗。スタートで流れに乗れず、カーブを抜けると後半はさらに大失速。レース後は少し青ざめた表情で呆然としていた。

サニブラウンには戸惑いの表情が浮かんでいた。

 レース後、すぐに言葉が見つからなかったのだろう。「(話をするのは)ダウンしてからでいいですか」と残し、サブトラックに戻っていった。

 サブトラックで心配そうな表情で待っていたコーチと歩きながら、レースの反省と走れなかった

 理由を話し合う。コーチの表情にも戸惑いが浮かんでいた。

「200mを走るのが久しぶりだったので、200mの走り方を忘れてしまった。スタートの技術練習や150m走などがメインで、長めの距離が少なかった。だから200mって長いなぁと思ってしまった」

 確かに200mは4月14日以来、約2カ月ぶりだった。練習もシーズンに入ってからは技術的な部分に重点を置いていたことも原因だった。

コーチは「自分のミスだ」と後悔していた。

 冷静にレースを振り返り、「練習で250mとか多めに走れば(日本選手権は)大丈夫ですよ」、そう話したが、明らかに元気がなかった。

 コーチも原因について逡巡していた。

「練習でもう少し長い距離が必要だったのかな。(他の選手が見えない)8レーンではなく2レーンに入れれば良かったかな。練習パートナー2人と練習も試合も一緒で、緊張感がなかったのも走れなかった理由かもしれない。自分のミスだ」

 荷物を片付けると、サニブラウンはコーチと帰路に着いた。2人の背中は明らかに力がなかった。

女子選手のバートレッタを練習パートナーに。

 日本選手権まで2週間。「何とかなる」、「何とかしないといけない」という気持ちが交錯する中、レイダーコーチはサニブラウンの練習パートナーを変えた。これまでも練習内容やスケジュール、種目によって15人近くいる選手を組み合わせてきたが、シーズンに入り、サニブラウンは男子スプリント勢と練習することが多くなっていた。しかし、レイダーコーチはサニブラウンと同じく全米選手権を2週間後に控えたバートレッタと組ませた。

 バートレッタは前回の北京世界陸上で走幅跳で優勝しているため、今大会はワイルドカード、つまり自動出場権を持っているが、100mでも代表権を目指しており、最終調整でブロック練習などを重点的に行う必要があった。

 自己ベスト10秒78でロンドン五輪100m4位のバートレッタは、スタートの飛び出しとパワフルな走りが身上。サニブラウンが全力で挑んでも勝つのはなかなか難しい。手を抜いたら簡単に先を行かれる相手だ。

 一緒に練習している際に、サニブラウンは何度か冗談交じりに「僕を置いてロンドンに行かないでね。1人でオランダに残るのは嫌なんで」と口にした。

 しかし練習ではイマイチ必死さに欠ける。

 のんびりしている弟分にしびれを切らして、バートレッタはこう質問した。

「ハキームはどうして世界陸上に行きたいの? 何がしたいの?」

「は? 経験なんかのためにロンドンに行くの?」

 今回は経験のために……、というサニブラウンの曖昧な答えに、バートレッタはこう畳み掛けた。

「は? 経験なんかのためにロンドンに行くの? そんな経験、ほかでも積めるよ。私は19歳の時に世界選手権初出場で優勝したんだよ。ハキームは来年19歳だよね? 経験なんて言っている時間あるの?」

 厳しい言葉をかけたのには理由があった。

 バートレッタは2005年ヘルシンキ世界陸上で金メダルを取った後、その次の目標が見出せず、燃え尽き症候群になった経験を持つ。才能はあっても、明確な目標がなければスポーツの世界で生き抜くことはできない。自分が失敗したから、才能ある若い選手に失敗して欲しくない。ずっとそう思っていた。

練習で100%を出さないサニブラウンに……。

 バートレッタは、サニブラウンの才能にかなり早い時点で気づいていた。

「南アフリカの合宿最後のテスト走の時に、『この子は本物だ。今季10秒切れる』と思った。もちろん根拠はあるよ。私やチュランディ(マルティナ、100mと200mのヨーロッパ記録保持者)と同じ練習をしているんだもの。私たちの練習は普通のジュニアがついてこられるレベルじゃないけれど、ハキームはできているんだから」

 同時に、サニブラウンが練習で100%を出さないことにも気づいていた。「もったいない」そう思っていたが、静かに黙って見ていた。いつか自分で気づくだろう。気づいてほしい、そう思っていた。

 しかし日本選手権で3番以内に入らなければ、サニブラウンのロンドン世界選手権への道は断たれる。チームで練習するのはあと1週間。悪者になってもいい。今、言わないと後悔する。

 他の選手が言いにくいことをズバリと言ったのには、そんな理由があった。

サニブラウン「姉さんに喝入れられましたね」

「姉さんに喝入れられましたね」

 サニブラウンはそう振り返る。

 レイダーコーチが練習パートナーの組み替えをしなければ、日本選手権2週間前にヘンゲロで200mに出ていなかったら、日本選手権の2冠はなかったかもしれない。

 ロンドン世界陸上で連覇をする、という明確な目標を持ったバートレッタや他のトップ選手と練習することで、サニブラウン自身の立ち位置、そして向かうべき道が定まったのだろう。「ロンドンは出られたらいいな」、というぼんやりした気持ちから、「絶対に代表権をとってロンドンに行くんだ」に。

 日本選手権で2冠を達成した後には「ボルトと戦いたい」、「9秒台は通過点」、「最終的には世界記録が目標」と、発する言葉も目標も明確に、そして高くなった。

 北京に続き、2大会連続の世界選手権となるロンドン大会。心身ともに成長したサニブラウンの活躍を期待したい。

text by 及川彩子
「オリンピックPRESS」

(更新日:2017年7月13日)

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