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突然失われた大切な人。宇多田ヒカル「真夏の通り雨」歌詞の意味とは

UtaTen

宇多田ヒカルが描いた人間の心模様


2016年、アーティスト活動へ復帰した宇多田が手掛けた『真夏の通り雨』。

日本テレビ系『NEWS ZERO』のエンディングテーマとして注目を集め、その切なく語り掛けてくるようなメロディーは、聴く者を惹きつける。
▲真夏の通り雨│宇多田ヒカル

2010年からの活動休止中に、最愛の母を失っている宇多田。この曲はそんなバックグラウンドも感じさせるような悲壮感がある。

大切な人との別れ。彼女が描こうとした、その場面の人間の心模様はどんなものだろうか。

「当たり前」を失くした時に思うことは…





ある日突然大切な人を失った。ある日突然二度と会えない状況になった。そんな時、人はそれを瞬時に理解し、受け入れることができるだろうか。

ずっと傍にいることが「当たり前」になっていたその人の存在。これから先もそうだと信じていた…というよりは、それが当然のことと思い込んで疑いもしなかったことだろう。



そしてその存在はある日突然消えてしまう。自分が思い描いていた「当たり前」の夢から、急に孤独で無機質な現実へと連れてこられたのだ。

突然一人取り残された時、きっと多くの人はそれを受け入れることができない。まさに夢の途中で“ハッ”と目が覚めた時の、ぼんやりと頭がフリーズした瞬間が延々と続くようなイメージだろうか。

「当たり前」のことは決して永遠ではない。そしてそれが失われた時の虚ろな衝撃と悲しみを巧みに表現している。  

忘れられない「あなた」





どんなに年月が経っても、その人のことを忘れることは出来ない。その人を失った悲しみを昇華することもできない。



その人を失った事実はいつまで経っても変わらないし、失ったあの日のことは何度思い出しでも悲しい。そう、ただ悲しいのだ。



そんな苦しみを抱えながらも、人はとりあえずその日その日を生きていかなくてはならない。何も間違っていない。人として生きる以上、そうするべきだ。

こんな思いをするならいっそ、すべて忘れてしまいたいとも思うだろう。

しかし、共に過ごした日々から得た糧で今を生きている以上、それを手放すことは自分自身を否定することだ。その人の生きた証を否定することだ。

忘れてしまいたい。なのに絶対に忘れられないし、忘れてはいけない。記憶にも感情にも行き場がない。合図の無い突然の別れは、きっと彼らにとっての「正しいサヨナラ」ではなかったのだろう。


空っぽな心に寄り添ってくれる歌





また別の大切な誰かに触れるとき、ふと失ったその人のことを思い出すことがある。

あの人なら今なんて言っただろう。どんな顔をしただろう。記憶の中だけで生きるその人は、決して何も答えてはくれない。その感情はただ自分の中だけで溢れていく。



たとえ記憶が薄れても、そんな心にぽっかりと大きく穴が空いたような感情は、癒えることも忘れられることもない。しかし、その感情に無理矢理ケリをつけ解き放つか、そのまま一人で抱え続けるか、自分がこれから先どう生きていくのか、自分で決めなくてはならない。

自由とはそういうことだ。ここでは決して奔放で希望に溢れる意ではない。



その人のことを思い出したとき、その感情はまるで通り雨のようにザーッと心に降りかかり、そこに溢れていく。別れを受け入れて前へと進まなくてはならない。しかし、その人への愛は変わらずそのまま、きっとこれからも自分の心に通り雨を降らせることがあるだろう。

この歌は、決して誰かを失ったときの悲しみを否定しない。無理やり明るい明日の方へ目を向けさせることもない。ただ、その哀愁と喪失感を淡々と歌っているのだ。まるで、大切な人を失ったその時に寄り添い、共に涙ぐみ悲しんでくれる様な存在の歌である。

もしそのような場面に直面することがあったら、この歌に耳を傾けてみるのもいいかもしれない。それで何かが解決する訳ではない。あなたの未来を変えてくれる訳でもない。しかし、きっとあなたの心の穴の深いところまでやってきて、寄り添ってくれるはずだ。

TEXT 島田たま子

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