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趣里がスズ子として“生きた”証の歌声 『ブギウギ』総集編を名曲とともに振り返る

Real Sound

『ブギウギ』写真提供=NHK

 笠置シヅ子さんをモデルに、福来スズ子(趣里)の歌手人生を描いた「連続テレビ小説」『ブギウギ』(NHK総合)の総集編が、BSでの先行放送に続き、5月6日に前後編続けて放送される。このドラマを語るうえでは「歌」が欠かせない。スズ子の内面を言葉で説明せずに物語と映像で語る、言ってみれば「感じる朝ドラ」であった本作において、「歌」は重要な役割を果たしていた。スズ子の喜びも愛も慈しみも悲しみも、すべてが歌の糧になった。歌がスズ子を生かし、スズ子が生きた道程がまた歌になった。

参考:『ブギウギ』羽鳥善一を“人間”にした草彅剛の凄み “主役”としてのスピンオフにも期待

 「ラッパと娘」から「ヘイヘイブギー」に至るまで、「東京編」以降にスズ子がステージで披露した全曲(舞台「ジャズカルメン」内のカバー曲「ハバネラ」を除く)を羽鳥善一(草彅剛)が作曲している。羽鳥のモデルとなった服部良一さんが創り出した、何十年経っても色褪せないメロディに改めて驚かされた視聴者も多いのではないだろうか。

 その名曲の数々を、服部良一さんの孫であり『ブギウギ』の音楽を担当した服部隆之さんが新たに編曲し、現代のエンターテインメントへと昇華させた。スズ子を演じた、というよりはスズ子を「生きた」趣里の歌唱力が、物語が重なるごとにどんどん進化していった。「歌」が幾重にも意味を持つドラマだった。本稿では、「東京編」以降に登場したスズ子の歌とともに、『ブギウギ』を振り返ってみたい。

「ラッパと娘」

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 スズ子が上京して初めて羽鳥から贈られた曲であり、生まれて初めてジャズの洗礼を受けた曲。そしてこの曲から、その後18年にもおよぶ「羽鳥・福来コンビ」が誕生した。ステージをはじめ、スズ子のアカペラ、鼻歌まで含めると、『ブギウギ』の中で最も多く登場したのがこの「ラッパと娘」で、アルバムでいえば「リード曲」ということになるだろう。

 「バドジズ」を掴むまで、羽鳥からダメ出しを500回くらったとき。戦争中のステージでは「三尺四方」の中に押し込められたとき。弟・六郎(黒崎煌代)の戦死の報せを受け、喉が詰まってステップが踏めなくなったとき。最愛の人・愛助(水上恒司)を亡くして絶望の淵に突き落とされ、それでも生まれたばかりの娘・愛子に「あんたと一緒に生きるで」と誓ったとき。中年に達した頃、西陽が差し込む稽古場でレコードを聴きながら「もうあの頃のようには歌えない」と悟ったとき。その時々で〈楽しいお方も 悲しいお方も〉が違う輝きを持って響いた。

「センチメンタル・ダイナ」

 母・ツヤ(水川あさみ)の危篤の報せを受け、それでも舞台に穴を開けることのできないスズ子。「お母ちゃん、ワテは歌手としてもっと大きなりたいんや」と舞台袖でツヤに誓いを立て、板の上に出て、この曲を歌った。また、同じ釜の飯を食った“戦友”・秋山(伊原六花)が大阪に帰るときに歌った「センチメンタル・ダイナ」は、舞台の上からスズ子が秋山に送るエールのようにも聴こえた。汽車の中でタップを踏む秋山と、スズ子のステージのカットバックは、屈指の名シーンだ。

「大空の弟」

 六郎の戦死を知って歌えなくなってしまったスズ子のために羽鳥が作ったこの曲は、六郎への鎮魂歌であり、スズ子と父・梅吉(柳葉敏郎)が六郎の死をゆっくりと受け入れるための大事な過程であった。服部良一さんが笠置シヅ子さんの戦死した弟に思いを寄せて作詞作曲したこの曲。終戦から74年が経って楽譜が発見され、音源の残っていない曲を服部隆之さんが蘇らせたという逸話も込みで、スズ子が「大空の弟」を歌うシーンは、フィクションを超えて訴えてくるものがあった。「○○○ではわからない」という歌詞に、便りに亀のことしか書いてよこさなかった六郎の思いが立ち上がってくる。

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