植民地化されなかった日本
幕末期は、日本史上稀に見る激動の時代でした。さらに世界に目を転じてみると、インドや清国をはじめとするアジア諸国が、当時は欧米諸国による植民地化の危機に直面していました。
実際、日本もアメリカをはじめとするヨーロッパの国々から不平等条約を押し付けられています。また、薩摩や長州は外国との戦争で大きな損害を受けました。
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しかし、こうした脅威に直面しながらも、日本は列強によって植民地化されることはありませんでした。領土の割譲も押し付けられていません。隣国を見てみると、当時の清国は列強から土地を奪われ、保護貿易策を撤廃させられるというひどい目に遭っているにもかかわらず、です。
これはなぜだったのでしょう?
幕府と徳川慶喜による列強対策
一般的には、日本の諸藩が江戸幕府を倒して中央集権体制をつくり、近代化政策を急速に進めたことが要因だと考えられることが多いです。
しかし史料をつぶさに見ていくと、江戸幕府は決して諸外国の脅威に対して策を講じていなかったわけではなく、開国前から対策を練っていました。
そのきっかけとなったのは、天保14年(1840)に起きたアヘン戦争です。アジアの大国である清がイギリスに敗れたことで、幕府は対外政策を変化させざるを得なくなりました。