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何度も何度もお願いをしても首を縦に振ってくれなかった母。その理由は…

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でも、母は、「アカンって、この前から言っているやろ」とだけしか言わなかった。すごく悔しかったが、僕は諦めなかった。

そこで、僕は通院していた病院の先生に聞くことにした。その先生は40代の男性で、髪型は七三分けで眼鏡をかけており、いつも冗談ばかり言っていた。いつものように、胸や背中の音を聴診器で聞き、両顎の下を触り、舌を舌圧子(ぜつあつし)で押さえ、「あー」と声を出して喉元を見るというルーティンが終わってから、思い切って聞いてみた。

「ねえ先生、僕、野球やっていいよね」 

すると、横で僕のシャツをたたんでいた母親が、「ちょっと、順也」と、僕と先生の間に割って入ろうとした。

先生は母に目を向け、軽く頷いたように見えた。そして先生は僕の方を一度見てから、いきなり腕組みをして下に視線を落とし、「うーん」と大きな声を上げた。

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どれくらい下を向いていただろう。しばらくして、先生はパッと顔を上げ、僕と同じ目線になるように座り直して、こう言った。

「野球か、うーん。今は、やめとこか」

そして、先生は続けた。

「田中君の病気は、大人になれば治る病気やから、いい子にしていたら良くなるよ」と、丸坊主の僕の頭をやさしく撫でながら言った。

“なんで先生も野球をやっていいよって言ってくれないんだ”と腹が立った。しかし僕はその先生が好きだったので、先生のことばを信じた。当時の僕にとっての「大人」とは中学生だったので、“中学生になれば野球ができる。それまで我慢したらいいんだ”と思い直した。

実は、数日前に兄から、「順也も僕も多分、野球もサッカーもできへん。そやから、もう諦めろ」と言われていた。その兄のことばを確認したい思いもあって、先生に聞いたのだ。

“なんや、野球は今できへんだけで、中学に上がればできるやんか。お兄ちゃんは間違ってるやん”と感じた。そして、幼心に野球をしたいという僕の希望が母を困らせていることはうすうす感じていた。だから、それ以降、野球をしたいとは一切口には出さなかった。

大人になった今、あの時、母は野球をしてはいけない理由を言わなかったのではなく、言えなかったのではないかと思う。そして医師が言ったことば。一見、無責任な発言かもしれないが、あれは子どもの希望と笑顔を奪わないための「やさしいウソ」だったのかもしれない。 

突然やってきた病いの兆候

身長も伸び、体重も増え(いわゆる肥満児だった)、僕は小学4年生、10歳になった。

相変わらず、月に一度は通院していた。でも、いつも血の検査と尿検査、診察を受けて帰るだけであった。

お薬を飲んだり、日常生活を制限したりすることは何もしなくてよかった。サッカーチームやリトルリーグに入ることはできなかったが、体育の授業にはみんなと同じように参加できていた。

実は腎臓という臓器は「沈黙の臓器」といわれるように、臓器の機能が悪くなっていても、熱が出たりお腹が痛いなどの自覚症状というものが出現しにくい臓器である。だから、僕も通院はしていたが、元気そのものだった。

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