「どちらからおいでになったのですか?」
その男は笑みを浮かべこたえた。
「わたしですか? 和歌山県田辺市から来ています」
このようなイベントでは笑みを浮かべ対応するが、恵利子のほうから先に声をかけることはほとんどなかった。お客さんからなにか尋ねられることはあっても先に声をかけることはない。
その男の笑顔に誘われるように先に声がでていたのだろう。真っ直ぐ男に視線をむけていた。瞬間に感じていた。なんてすてきな笑顔なのか。その笑顔に引きこまれそうな感じがする。
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日に焼けた顔、白い歯、濃く太い眉、やさしそうな瞳。温かい心の持ち主に見えた。上着は濃紺のTシャツだった。左胸にちいさなイルカが描かれている。
恵利子が今つきあっている相手もおおきいが、目の前の男のほうが数段おおきい。恋人のことを一瞬忘れている自分に気がついたが、心のかたすみに生まれたときめきは止められなかった。意識しないまま次々に言葉がでた。
「和歌山県からですか? 遠いですね」
「そうでもないですよ」
「ここは島ですから大阪にでて新幹線で来られたのですか?」
「いいえ、別のルートもあるんですよ」
遠い和歌山から別のルートがあるのかな。フェリーで対岸の徳島県に渡りここまで来たのかな。
「別のルートですか? そのルートを教えていただけませんか?」
「わたしの乗っている船が近くの島にドック入りしているので船で来たんですよ」
えっ、船で来た? 新幹線やフェリーじゃない。予想外の答えだった。誰もが来るような一般的な自家用車や鉄道の交通機関で来たのでないのか。
「そうですか。じゃ、船に乗っているのですか?」
「はあ……」
照れながら話す仕草、爽やかな感じが全身に滲みでている。恵利子はこの男にさらに興味を持った。船に乗っているとはどういうことなのか。おおきな船に乗る外国航路の船員さんなのか、国内を走る船なのかなあ。いったいどのような船に乗っているのだろう。
山間の街で育ち、港街はあまり散策したことはない。遠い昔、学生のころ関東への修学旅行で横浜港や神戸港に行った記憶があるが、当時は船について興味もなかった。
「どのような船に乗っているのですか?」
「白いスマートな船ですよ」
「船の名前はなんていうのですか?」
「『あきづ』といいます」
和歌山県なのか。みかんと梅干しの里とよくきくが梅干しの里の名前なのかしら。
たぶんそうなのかな。
「あの南部梅林や秋津梅林はよくきくのですが、その名前ですか?」
「そのとおりですよ」
そうか『秋津』という地名はよく記憶に残っていた。この男をもっと知ることはできないのか、どのような男性なのだろうか、もっとお話しできることはできないのか。
質問が次にはでなかった。なにをきこうかと思っていたときにその男から反対にきかれた。
「自転車で今治まで行きたいんですが、時間はどれくらいかかりますか?」
「今治まで自転車で行くのですか? 大変ですね」
「しまなみ海道を走って行こうと思うんですが?」
「そうですか、大変ですね。ここからだとあと四時間程度はかかるんじゃないですか」
「四時間かかるのですか?」
「たぶんそれくらいと思いますよ」
「四時間もかかるのか……」
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